1930年6月24日、パリ生まれ。父は薬剤師。戦時中フランス中部サルダンの祖母の家に疎開。戦後は法律を学んだ。同窓に極右のジャン=マリー・ル・ペンがいた。
1951年に結核になり、サン=セルグの療養所で知り合った富豪の娘アニエス・マリ=マドレーヌ・グトと1952年6月26日に結婚、以後五年間、妻に養ってもらい、1954年に長男ジャン=イヴ、1956年12月に次男マチューをもうけた。ジャン=イヴは建築家となり、マチューは音楽家として父の映画に協力している。
1952年から映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』編集部に出入りするようになり、53年から映画評を執筆。1955年秋から、フォックス宣伝部で働き始めた。
1956年にアニエスの祖母が亡くなり、アニエスの受け取った遺産3200万旧フランにより、アジム(AJYM)フィルムを設立した。AJYMは、アニエス、ジャン=イヴ、マチューの頭文字を組み合わせた名称だ。友人リヴェットの短篇『王手飛車取り』(56)などに続き、自身の初監督作『美しきセルジュ』(58)を製作した。
1957年には映画評論家エリック・ロメールとの共著『ヒッチコック』(インスクリプトから邦訳刊行予定)を上梓した。
第二作『いとこ同志』(59)は、友人トリュフォーの『大人は判ってくれない』(59)、技術監修としてトリュフォーと共に名義を貸したゴダールの『勝手にしやがれ』(60)、製作を手がけたリヴェットの『パリはわれらのもの』(61、日本未公開)、ロメールの『獅子座』(62)、などと共に「ヌーヴェル・ヴァーグ」(新しい波)と呼ばれた。
1964年に離婚し、アジムはアニエスのものとなった。シャブロルは、12月4日に、女優のステファーヌ・オードラン(1932年生まれ)と再婚。すでに63年4月24日に息子トマをもうけていた。トマは俳優として父の監督作ほかに出演している。
この頃から作風が商業主義寄りになり、ヌーヴェル・ヴァーグに対する裏切りともいわれたが、以後フランス映画の中堅監督として、半世紀にわたり、主に犯罪映画を撮り続けた。異常心理の描写を得意とする。1974年以後、たびたびTV映画も撮っている。
1976年、自伝『それでも私は撮る』を上梓した。
ステファーヌ・オードランとは1980年に離婚。1981年、スクリプト監修者のオロール・パキス(1934年生まれ)と三度目の結婚をした。パキスは俳優フランソワ・メストルとのあいだに娘セシル・メストル(1967年生まれ)をもうけている。セシルは父の監督作で助監督を務め、『引き裂かれた女』でもチーフ助監督である。
シャブロルの映画出演作に『ゲンスブールと女たち』(仮題。クロックワークス配給、2011年公開予定)などがある。
2010年9月12日、パリにて没。
2011年、清流出版より、大久保清朗訳で『不完全さの醍醐味 クロード・シャブロルとの対話』(仮題)2月初旬刊行予定。