海外版DVDを見てみた 第13回『マイケル・パウエルの『スモール・バック・ルーム』を見てみた』 Text by 吉田広明
今回はマイケル・パウエルのノワール作品とされる『スモール・バック・ルーム』Small back room(直訳すると「小さな裏部屋」と、しまらない題になってしまうのでカタカナで表記)を中心に、パウエルのスリラー作品を取り上げる。パウエルは脚本家エメリック・プレスバーガーとの協力で、『赤い靴』や『ホフマン物語』など豪華絢爛なミュージカルや、『天国への階段』などの人間ドラマの大作の数々を生んだ、日本でも最も著名なイギリス人映画監督と言っていいかと思うが、その作品数は相当数に上り(IMDbでは短編なども合わせて60本としている)、全く日本で公開されなかった作品(特に低予算)も多い。その中にはスリラーも多々あり、その中のいくつかに関してはイギリスやアメリカでDVDも出ているので、今回取り上げるのはそうした形で見ることができた作品である。無論いまだ見られないものも多く、パウエルの全体像を云々するには程遠い数の作品しか、筆者自身見ていないので、あくまでこれは見ることができた範囲内での報告、ということになるだろう。

『幻の灯り』Phantom light
パウエルのごく初期の作品には、イギリスの推理小説作家フィリップ・マクドナルド原作脚本の短編が二本——『鑢』The rasp(32)と『ライノクス殺人事件』Rynox(32)——ある。ちなみにマクドナルドはその後アメリカに渡り、映画界で活躍し、ヒッチコックの『レベッカ』(40)のアダプテーションをし、ロバート・ワイズの『死体を売る男』(45)のシナリオを書いている。ジョン・フォードの『肉弾鬼中隊』(34)、ヘンリー・ハサウェイの『黒い誘拐』(56)、ジョン・ヒューストンの『秘密殺人計画書』(63)は彼の原作の映画化。最近フリースタイルから復刊された都築道夫の『黄色い部屋はいかに改装されたか?』ではマクドナルドを高く評価している。『鑢』は推理作家としてのマクドナルドの代表作であり、パウエルが(短編とはいえ)どんな演出をしたのか興味深くはあるのだが、いつか見られる日が来るのだろうか(『ライノクス殺人事件』はYou tubeに上がっているので見られる。原作の肝となる、プロローグとエピローグの逆転という語りの形式上の実験は全く取り除かれてしまっていて、筋を追っただけになっている)。

アメリカで出ているClassic British ThrillersというDVDには、マイケル・パウエルの初期作二本が収められており、そのうちの一本が『幻の灯り』(35)ということになるが、もう一本が『赤い艦旗』Red ensign(34)。しかし『赤い艦旗』は、興味深い作品とは言え、DVDが謳っているようにスリラー映画とは到底言えない作品である。新しいアイディアによる巨大輸送船を大量に建造しようとする社長が、様々な困難や、商売敵の妨害を乗り越えて遂に目標を達成する、というもので、その間、資金繰りに行き詰まり、署名の偽造をしてしまう、という点で犯罪が出てこないこともない。この映画は、斜陽になったイギリスの基幹産業たる造船をいま一度復興しようという、ナショナリスティックな意志の表明でもあって、商売敵は造船を国外に流出させた存在であり、また、主人公は、逮捕され、裁判沙汰になりながらも、その裁判の中で国民の愛国心に訴えることで世論を味方につけることになる。

『幻の灯り』は、ウェールズの海に浮かぶ灯台が舞台。そこに新たに配属された灯台守。その灯台には怪しい噂があり、その灯台の灯りが何故か消えてしまい、別な所に忽然と灯りが現れ、それに惑わされた船が座礁する、という。これは亡霊の仕業だとされ、灯台で働く若者は、自分が見たものへの恐怖から、気が狂ってしまっている。その狂気の若者が、『カリガリ博士』の眠り男のような不気味さでウロウロするとはいえ、全体にはおどろおどろしい感じで演出されてはおらず、灯台守の中年男のひょうきんなキャラクター(ゴードン・ハーカー演じる。彼はヒッチコックのイギリス時代の作品でコメディ・リリーフとしてしばしば出演している)、何とか彼にくっついて灯台に行こうとするジャーナリストらしい若者、調査員を名乗る若い女とのドタバタもあり、コメディ・スリラーというべき作品になっている。マイケル・パウエルは灯台や孤島といったロケ地を好み、その後も多くの作品でそうしたロケーションを取り上げている(孤島での住民の過酷な生活を描いた『世界の端』The Edge of the world,37、次項に取り上げる『黒いスパイ』,39、孤島に嫁に行く女性の物語『渦巻』,45。また孤立という状況もその変種と考えれば、修道院を舞台とした『黒水仙』、47も)。実際、海に浮かぶ灯台内部や、そこに船からどうやって入るか等の描写が見ていて話の本筋よりも面白い。本筋の方は大した謎ではなく、船を或る理由から座礁させようとする者たちの仕業であり、ジャーナリストを装う若者は、海軍将校、女調査員はスコットランド・ヤードの刑事と判明、灯台守に身分を明かし、その協力を経て事件は解決される。