ロンドンとリリアン・ギッシュ Text by 大塚真琴   第6回 リリアン・ギッシュⅢ
言葉にできない「何か」
『東への道』(20)は、グリフィスの作品の中でも最もメロドラマ臭の強いものであり、その強さには恐らくリリアン・ギッシュしか太刀打ちできなかったのではないかと思われる。ここでは、貧しく純粋な娘が、騙されて偽りの結婚をしたあげくに放り出された悲しみと、一人で産んだ子供を失い、全てを失ったという悲しみを秘めて生活している様子を表現しなければならなかった。ヘンリー・B・ウォルソールは、良心の呵責に苛まれて、じっとカメラを凝視するような役がぴったりの俳優であったが、メロドラマの主人公を演じさせたら、リリアン・ギッシュの右に出るものはいなかった。木立ちや窓辺、花咲く庭、森の小道や古風な家を好んで映像にしたグリフィスの世界に、ギッシュほど自然に入り込むことができた女優はいなかった。メロドラマは、人の感情をいかにして表現するかということが最も重要視される分野である。リリアン・ギッシュは、どんなに癖の強い映画でも、その中に自分をうまく同化させる術を心得ていた。言い換えれば、彼女には、どんな状況に置かれても、それに対応する能力が備わっていたということである。『東への道』はそのクライマックスにおける救出の場面によって、ギッシュにとっては『風』と並んで最も苦痛を強いられる作品となった。映画にとって最も重要なことは、その撮影方法や物語を強調することではないように思う。グリフィスとギッシュの映画には、言葉にできない「何か」が満ちていた。ギッシュは確かに氷の上に身を横たえたが、一番重要なことは、それがまぎれもない「映画」になっていたことではないか。意識的か無意識的かに関わらず、映画が何かを訴えるために生まれたのではないという原点に、グリフィスもギッシュも、そしてビッツァーも忠実であったように思えるのである。だから、グリフィスとギッシュの映画は、それを観るまでに何十年という月日が経過していたとしても、全く変わらずに存在し続けるだろう力を持っていて、それこそが二人が創造したものなのだと思う。

『嵐の孤児』

ロバート・ハロン

リチャード・バーセルメス

D.W.グリフィス
1921年12月28日に公開された『嵐の孤児』は、久し振りの姉妹共演である。この映画で、マックス・ラインハルトの元で演技の勉強をしていた経験のあるジョゼフ・シルドクラウトがリリアンの相手役を演じた。この組み合わせはグリフィス映画の中でも一際華やかであった。ドロシーは盲目の妹役で姉にひけをとらない熱演をみせた。
ノートルダム寺院の前で歌をうたうドロシーの上にゆっくりと落ちてくる雪が、その冷酷な運命と共に、いつか訪れる平安を天が予期しているような印象を与えた。また、リリアンが手にしていた傘を開くと、激しい雨のために、フィルム上では灰色に見える傘がたちまち黒くなるという場面があった。傘に大きな雨粒が当たることの心地よさを、これほど巧みに表現した例を他に知らない。グリフィスの繊細な心理描写と、バイオグラフ時代から繰り返し主題にしてきたことがここで次々と展開されて行く。馬車の中から下りてくる貴婦人たちの巨大な帽子や、贅沢な食事をする人々と、パン屋の前に列を作っている貧しい人々との対比、淫らなパーティー、貴族と平民の恋、そして、ラスト・ミニッツ・レスキューである。
リリアンにはドロシーと並ぶような良い相手役がとても少ない。ロバート・ハロンとリチャード・バーセルメスは、リリアンと並んでひけをとらずにすんだが、『嵐の孤児』のジョゼフ・シルドクラウトを除いて、その他に、一体どんな俳優がリリアンを受け止められたであろうか。ロバート・ハロンは私生活ではドロシーのボーイフレンドであり、リチャード・バーセルメスは、ドロシーが主演していたコメディーで何度も共演していたことがきっかけで、グリフィスの映画に出演するようになったのである。恐らく、リリアンにとっての最高の相手役とは、生まれた時から一番身近にいて、彼女のことを最も良く理解していた他ならぬ妹だったのではないか。二人は一人でいてもよかったが、二人一緒にいる時、一人の時に感じる隣に誰もいない空間が収まるような安心感があった。
『嵐の孤児』は二人にとって最後のグリフィス作品となった。

グリフィスは1935年に『散り行く花』のリメイクを作るためにロンドンにいたが、役者選びの途中で企画から外された。すでにアルコール中毒だったグリフィスはリリアン・ギッシュに電話をかけてきて、もう40代に入っている女優にルーシーを演じてほしいと懇願した。自分がどんなにギッシュを必要としているかを訴えたのだという。
グリフィスは、才能がなくなったわけではなかった。ただ、映画監督としての名前があまりにも大きくなり過ぎたのだ。映画が撮れなくなったのは、グリフィスの言うことに耳を傾け、自らも何かを創造しようとする人々がいなくなってしまったからだった。グリフィスにとって真の意味での映画作りのための仲間がいなくなってしまったのだ。「君がいなければ映画が撮れないんだ」とグリフィスはギッシュに言った。それは、ギッシュがグリフィスにとってなくてはならない存在であると同時に、その頃の映画が、グリフィスにとって、最も輝かしい時代となって記憶の中に留まっていたことを示しているように思うのである。