ロンドンとリリアン・ギッシュ Text by 大塚真琴   第6回 リリアン・ギッシュⅢ
『スージーの真心』
『スージーの真心』『散り行く花』
1919年の春に撮影された『スージーの真心』は、現在でも評価の非常に高い映画である。リリアン・ギッシュの演技についてはジェイムズ・ナルモアが詳細な分析を試みている。着飾った娘たちを見て、ロバート・ハロンは「女性は素朴なのに限るよ」と言うのだった。そんなことを言っておきながら、大学を出た(その学費はスージーが出していたのだ)ハロンは、帰郷した後、クラリン・シーモア扮するモダンガールと結婚してしまうのであった。『スージーの真心』はギッシュの表情や仕草、体の動かし方などによる、ありきたりではない演技が絶賛されている。ハロンの言葉はそのままグリフィスの考えにも通じるだろう。グリフィスこそ素朴な女性を好んだ。だが、一点の曇りもなく素朴な女性になれる女優はめったにいるものではない。スージーという愚かな娘を、存在が奇跡のような女性にしてしまうとは。この映画はリリアン・ギッシュの奥深いこまやかな演技に満ちているのである。

1919年1月にD・W・グリフィス、メアリ・ピックフォード、チャールズ・チャプリン、ダグラス・フェアバンクスの四人による製作兼配給会社ユナイテッド・アーティスツの設立が発表された。ここを通して配給された最初のグリフィス作品が『散り行く花』である。『散り行く花』はトムス・バークの短編小説集「Limehouse Nights」(ライムハウス・ナイツ)の中の「The Chink and the Child」(中国人と子供)が基になっている。これは『M’Liss』(エムリス 18)を製作中だったメアリ・ピックフォードが、相手役のトムス・ミーアンに勧められて読み、いたく気に入ったストーリーであった。その後『孤児の生涯』(Daddy-Long-Legs 19)製作中に、何か良いストーリーはないかと何気なく尋ねたグリフィスにピックフォードが紹介したのだった。物語は暗い結末で、ハッピー・エンドが当たり前という当時の風潮から考えれば、映画化にはかなりの勇気が必要とされた。ただ、ピックフォードが主演した1918年公開の『闇に住む女』(Stella Maris)は子供への虐待、アルコール中毒、殺人と自殺というかなり深刻な内容を扱っており、この映画がハッピー・エンドではあるものの、それが完全なハッピー・エンドではないという点でグリフィスに刺激を与えていたかもしれない。
『散り行く花』は6週間のリハーサルの後、18日間かけて撮影され、それはリリアン・ギッシュが自分でも最も気に入っている映画と認める作品となった。この映画はリリアンの代名詞ともいえるような仕草や演技の集大成と言っても過言ではない。恐らく、グリフィスの映画のリリアン・ギッシュが創造的能力を最大限に発揮した作品といえるだろう。リリアンは悲しげなまなざしで座り込んでいる演技ひとつでただならぬ哀愁を漂わせ、うなだれて歩く後ろ姿が、リチャード・バーセルメス演じる青年の希望を失った背中に共鳴した。川をゆっくりとすべる小舟の帆が、悲しみで覆われた町の静寂を思わせ、ショウ・ウィンドウの中の人形を飢えた子供のように見詰めるギッシュとそれを見ている青年の、ずっと昔に追い求めていたものを思い出しているようなショットが、この二人の心の寂しさを何よりも強く表わしていた。
『散り行く花』は、ロサンジェルスのチャイナタウンの場面の他は全て室内セットで撮影された映画だった。リリアンの相手役であるリチャード・バーセルメスは、ドロシー・ギッシュ主演の『名物女』(Battling Jane 18)に出演しており、『勇士の血』ではキャロル・デンプスターの相手役を務めていた。バトリング・バロウズを演じたドナルド・クリスプは、1910年からグリフィスの元で俳優、アシスタントとして仕事をしており、1914年には多くのドロシー・ギッシュ主演の映画を監督している。『散り行く花』は1914年の『The Battle of the Sexes』(男女の戦い)以来のギッシュとの共演である。この時もクリスプは昼間は他の映画を監督していた。
グリフィスはユナイテッド・アーティスツ発足後、ファースト・ナショナルと3本の映画を撮る契約を交わしており、『大疑問』(19)、『渇仰の舞姫』(20)、『愛の花』(20)の三作品を監督した。『大疑問』は、『幸福の谷』や『スージーの真心』のような田園を舞台にした物語で、リリアンは旅の途中で母親を亡くして孤児となり、やがて女中として働き始めた家の夫婦が、幼い頃に目撃した殺人の犯人であることに気付く。リリアンにはもちろんロバート・ハロンという恋人がいて、最後は彼に救われる。ハロンの善良な家族は、自分たちの土地で石油が発見されたことで救われるのである。石油によって救われるというのは1913年にリリアンが主演した『A Timely Interception』(折りよい妨害)と同様である。映画そのものはごくありふれたものだったが、途中で何度も挿入されるギッシュのクロース・アップが美しい。