コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 Jフィルム・ノワール覚書⑪ 東映ノワール 関川秀雄の場合   Text by 木全公彦
『一万三千人の容疑者』
『一万三千人の容疑者』ポスター
『一万三千人の容疑者』(1966年)

戦後最大の誘拐事件として日本の犯罪史上に名を残す吉展ちゃん事件の映画化である。事件の概要は次のとおり。1963年3月31日、東京都台東区に住む建設業者の長男・吉展ちゃん(当時4歳)が自宅近くの公園に遊びに出かけたまま行方不明になる。両親は警察に捜査願を出し、その後警察の聞き込みから誘拐事件と断定される。その後、数度にわたる犯人からの身代金要求の電話の結果、身代金だけが奪われた。捜査陣の必死の捜査にもかかわらず、重要参考人が浮かんだものの決め手を欠いてなかなか事件解決にならず、一時は迷宮入りかと思われた。事件から2年3ヶ月後、1965年7月4日、それまで何度も捜査線上に最重要容疑者として浮上していた人物が犯行を自白。翌7月5日吉展ちゃんは南千住にある円通寺から遺体で発見された。

Wikipediaによれば、「日本で初めて報道協定が結ばれた事件であり、この事件から、被害者やその家族に対しての被害拡大防止およびプライバシー保護の観点から、誘拐事件の際には報道協定を結ぶ慣例が生まれた。また報道協定解除後の公開捜査において、テレビを本格的に取り入れ、テレビやラジオで犯人からの電話の音声を公開し情報提供を求めるなど、メディアを用いて国民的関心を集めた初めての事件でもあった」(2016年9月1日閲覧)という。

また映画ファンとしては、犯人が誘拐事件を考えついたヒントは、黒澤明の『天国と地獄』(1963年)の予告篇を見たことにあったからだというのはよく知られた話で、さらに1965年には『天国と地獄』を模倣した「新潟・デザイナー誘拐事件」が起きるに至って、その話を知って黒澤は相当悩んだという。

『一万三千人の容疑者』

『一万三千人の容疑者』
映画化にあたり、ベースになったのは事件を担当した主任刑事・堀隆次が著した手記「一万三千人の容疑者―吉展ちゃん事件・捜査の記録」(集英社、1966年)による。脚色はこのジャンルの大家・長谷川公之。事件解決からまだ1年しか経っていないこともあり、事件の具体は大きな脚色なしで時間を追って再現されるが、人物の名前は、主任刑事・堀隆次→堀塚修(芦田伸介)、小原保→小畑守(井川比佐志)、村越吉展ちゃん→村山明彦ちゃん、のように変えてある(Wikipediaによる)。ただし芦田伸介演じるのが名刑事・平塚八兵衛という説もあって、ウェブ上で読める文章の多くはそうなっている。事実、事件を解決に導いた主任刑事は平塚八兵衛で、彼はこの事件で大いに名を売った。では手記を著した堀隆次とは誰なのか。このあたりはもう少し調べてみる必要があるかもしれない。

映画が開幕するとすぐにものものしく東映社長の大川博のメッセージが出る。世間から大きく注目された大事件がようやく解決し、しかも悲劇的な結末を迎えて、約1年後に製作された作品であるから、このような配慮めいたメッセージをつけたのだろう。映画の製作された1966年といえば、ほとんどの映画はカラーになっていたはずだが、本作はセミドキュのスタイルをとっているのでモノクロになっている。東映東京では同時期に製作していた“夜の青春シリーズ”(関川秀雄や村山新治も参加)がモノクロ・スコープであったので、あまり抵抗のない判断だったのだろう。だがいささかズームが多いのは流行の反映でもある。

出演者は、セミドキュらしくスターらしき俳優は吉展ちゃんの母親を演じた小山明子ぐらいで、ほかは新劇系の地味な俳優で固められている。不思議なのは、東映プロパーの俳優ではないのが目立つこと。芦田伸介(日活系民藝)、小山明子(松竹系創造社)、神山寛(俳優座)、市原悦子(俳優座)、村瀬幸子(俳優座系フリー)、ほかにも織本順吉、浜田寅彦、稲葉義雄、岸輝子など東映とは縁が深い新劇人の顔ぶれが目立つ。犯人役の井川比佐志も俳優座。山田洋次と出会う以前の井川は、『白と黒』(1963年、堀川弘通監督)、『警視庁物語・ウラ付け捜査』(1963年、佐藤肇監督)など、いずれも労務者ないし前科者の犯罪者という役が強烈に印象に残る。

関川の演出は、最初の身代金の受け渡し場面(あとからこれはガセだと分かる)での新橋の隠し撮りなど、セミドキュ手法を生かしつつ、聞き込みや報道をモンタージュしたり、事件解決に向けて年月が経ったことを東京オリンピック開催のニューズ映像を入れたりと、工夫を凝らしているが、事件が事件だけに再現性にこだわる一方で、芦田伸介の前任刑事の病死や芦田の家族をやや情緒的に描くなど、再現ドラマだけをマテリアリズムで描くことに徹しきれず、そのあたりに不満は残る。

伊福部昭の音楽はいつもの調子ながらドラマチックで重厚。

同じ吉展ちゃん事件を映像化したものでは、恩地日出夫が本田靖春のノンフィクション「誘拐」(文藝春秋、1977年)に基づいてテレビ朝日で「土曜ワイド劇場」の一作として製作した『戦後最大の誘拐 吉展ちゃん事件』(1979年)のほうに軍配を上げたい。このときの配役は平塚八兵衛→芦田伸介、小原保→泉谷しげるで、奇しくも芦田伸介は『一万三千人の容疑者』と同じ役(堀隆次がどういう人なのか疑問が残るにせよ)、泉谷しげるはこの役で演技者として注目を集め、その後たびたび俳優としてテレビや映画に出演することになる。