コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 Jフィルム・ノワール覚書③『暴力の街』とその周辺   Text by 木全公彦
『暴力の街』
『暴力の街』は、朝日新聞浦和支局が暴力追放キャンペーンの記事として同人の名で著した「ペン偽らず」を原作としている。内容は、埼玉県本庄町(現在の本庄市)で実際に起きた“本庄事件”をもとにしたもので、本庄町に巣喰い、行政と癒着し、町を支配する暴力団の実態とともに、それに対して暴力撲滅キャンペーンを張る朝日新聞浦和支局および市民の、1949年をピークとして今なお現在進行形で続く闘いを描いた作品である。

映画に先立ち、1949年、「映画季刊」第4集に八木保太郎、山形雄策の手による「シナリオ ペン偽らず」が掲載された。暴力と不正が跋扈する田舎町を舞台に、町を支配する暴力団とそれに立ち向かう新聞記者が描かれる一方で、町の人々の姿も群像劇風に描かれるため、登場人物は多い。出演者は、日本映画人同盟の組合員を中心に、東宝、大映、松竹、それに第一劇団、新協劇団、俳優座など多くの映画演劇人が参加している。五社協定が調印され、幅を利かせる1950年代以降はもちろんのこと、それ以前であっても、これだけ各社にまたがる俳優たちが一致団結して出演しているのは珍しいことではないだろうか。

映画の中でこそ舞台は東条市と架空の地名に変えられたが、本当に事件の舞台となった本庄町に全面的にロケして、実際にそこに住む名士たちはもちろんのこと住人たちもエキストラとして出演し、さらには実写フィルムも挿入されるなど、低予算やバックアップする撮影所がないというハンデキャップを逆手にとった撮影スタイルがとられた。これは直接的にネオリアリズモの影響と見ていいが、つまりセミ・ドキュメンタリーで撮影されたというわけである。

山本薩夫

『暴力の街』
セミ・ドキュを唱導したプロデューサー、ルイ・ド・ロシュモントが当初定義したセミ・ドキュとは、「実話に取材し、その扱う事件の現場で、できるだけ実話に忠実に制作する」(「映画小辞典」、「映画世界」1951年1月号)というものであった。とすれば、セミ・ドキュのスタイルで撮影された『暴力の街』は、その内容といい、スタイルといい、戦後の日本ミステリ/サスペンス映画発達史を語る上で、重要な作品なのではないか。ただし本作の目的は、ミステリ/サスペンス映画の醍醐味とは別のところ、すなわち暴力の実態を告発し、市民社会から暴力や腐敗を追放するキャンペーンにあるから、Jフィルム・ノワールとは直接的には関係ない。本作をあえて取り上げた理由は後述するとして、まずシナリオ段階の『ペン偽らず』から『暴力の街』に改題された映画のあらすじを簡単に紹介する。

東京近郊にある織物で有名な東条町。ヤミの織物を積んだトラックが警察の検問でもお咎めなしで白昼堂々流通している。ところがある日、駅前で巡査が自転車を調べたところ、大掛かりなヤミ・ルートが発覚する。大東新聞に入社したばかりの新米新聞記者・北(原保美)は、着任以来、この町の有力者たちと警察が癒着し、腐敗していることに不審を抱いていたが、周囲の反対や圧力にも屈せず、このヤミ物資のことを記事にする。町には町会副議員で、警察後援会長も務める暴力団のボス・大西(三島雅夫)が北の報道に怒り、新聞社に圧力を加え、町の有力者が居並ぶ中、北を殴りつける。だが周囲にいた警察関係者は知らん顔をしている。そこで北は警察が大西の支配下にあることを知る。北の妹・タヅ子(三條美紀)の友人・春枝(岸旗江)は、北の家を訪れてその身を案じる。そうした中で地方の中心都市にある支局の佐川支局長(志村喬)は、北殴打事件の背後にある町の腐敗を暴くため、川崎記者(池部良)を派遣する。だが川崎はやくざたちの嫌がらせによる妨害で身の危険を感じる。その報を受けた佐川支局長は記者団を連れて、東条町に乗り込むが、やくざの嫌がらせや脅しは続いた。しかし新聞のキャンペーンと呼応して暴力追放運動をする青年たちの動きが拡大し、全国的なニュースとなる。大西側は丸めこんでいる検事(滝沢修)を使い、反撃を開始する。しかし町の人々は立ち上がり、ついに町民集会が開かれる……。

現存しているプリントは状態があまりよくないため、音声がきわめて聞き取りにくく、登場人物が多く、人物関係も入り組んでいるので、分かりにくい部分もあるが、要約すると以上がざっくりとしたあらすじである。

実際に起きた事件をその場所で再現しているだけにとどまらず、当然のことながら登場人物にもモデルがいて、映画では滝沢修が演じた検事のモデルになった実在の検事は、シナリオの訂正を求めて告訴状を出したようだ。

ところでこれとそっくりのハリウッド産の映画があることは、あまり知られていないようなので、それについて触れておく。セミ・ドキュの傑作として後続の犯罪映画に大きな影響を与えた『裸の街』(1948年、ジュールス・ダッシン監督)以降のセミ・ドキュ犯罪映画として、ひとつの完成形をみた『無警察地帯』(1954年、フィル・カールソン監督)である。