コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 Jフィルム・ノワール覚書③『暴力の街』とその周辺   Text by 木全公彦
『無警察地帯』
『無警察地帯』の監督はフィル・カールソン。日本でも本国アメリカでもあまり評価の高い監督とはいえない、いわばB級監督という印象が強いが、晩年の作品はともかく、『アリバイなき男』(1952年)、『スキャンダル・シート』(1952年、サミュエル・フラー原作!)、『消された証人』(1955年)など、地味ながら小味の効いたフィルム・ノワールの佳作で知られる。『アリバイなき男』はPD扱いの500円DVDでかなり前に発売されており、のちに個性的な悪役として売り出す脇役俳優をずらりと揃えたキャスティングと、テンポの早い展開に唸ったものだ。『スキャンダル・シート』と『消された証人』は日本未公開ながらDVDで発売済み。いずれもなかなかの佳作。

脚本はダニエル・マンワリング(別名ジェフリー・ホームズ)。ドン・シーゲルとのコンビで、『仮面の報酬』(1949年)、『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1956年)、『殺し屋ネルソン』(1957年)など、あるいは『暴力の街』(1950年、ジョセフ・ロージー監督)、『ヒッチハイカー』(1953年、アイダ・ルピノ監督、ただしノンクレジット)などの傑作フィルム・ノワールの脚本を担当し、なによりも自作の小説『俺の絞首台を高く作れ Build My Gallows High』(1946年)を自ら脚色した『過去を逃れて』(1947年、ジャック・ターナー監督)は、フィルム・ノワールのカノンとして名高い。

2010年、アテネ・フランセ文化センターで行われた「アナクロニズムの会 第4回」において、上島春彦の「ダニエル・マンワリングのスモールタウン・ナイトメア」 と題された講演があり、そこで上島は、「ダニエル・マンワリングが描いたのは、全員が顔見知りの田舎町に展開される、そんな悪夢の諸相ではなかったか」(チラシより)と書き、そのときに参考として上映されたのが『無警察地帯』であった。

アメリカ東南部アラバマ州フェニックス・シティという人口2万4000人の町で実際に起きた話を元に、事件の起きた場所でロケし、事件をセミ・ドキュのスタイルで再現した異色のフィルム・ノワールである。

『無警察地帯』ポスター

無警察地帯
暴力が支配する町フェニックス・シティ。賭博場やインチキ酒場が立ちならぶ町は、レット・タナー(エドワード・アンドリュース)が君臨する犯罪組織が警察や市政を賄賂で抱き込み、あらゆる悪徳と暴力がはびこっている。そんな状態を憂う一部の人々が人望の厚い弁護士のアルバート・パターソン(ジョン・マッキンタイア)を粛清委員長にしようとするが、暴力を嫌う彼は海外から帰国する息子夫婦と暮らし、静かに余生を送りたいと思っている。妻を伴って帰国した息子のジョン(リチャード・カイリー)は、委員会に会合に集まった人々が、ギャングに迫害されているのを見て、黒人掃除夫ゼーク(J・エドワーズ)と協力してこれを叩きのめす。タナーは報復として、暴力で対抗し、黒人少女を誘拐し、殺害する。これを知ったアルバートはようやく立ち上がり、粛清委員会の委員長に就任。さらに州検事総長選挙に立候補するが、執拗に続くギャングたちの妨害はエスカレートし、ついに凶弾に倒れる。地方検事となったジョンは悪の根絶を誓う。戒厳令下のフェニックス市へ武装軍隊が出動し、町から悪と暴力が追放され、町には平和が訪れる。

記憶によれば、映画の冒頭に、実際の事件関係者の複数の証言がカメラに向かってあったと思うが、ドキュ・スタイルなので暴力はなまなましく陰惨で、少女が車で拉致され、殺される場面の描写なんぞは残忍で容赦がない。 マーティン・スコセッシは影響を受けたギャング映画15本の1本に、この『無警察地帯』を選び、スコセッシが担当した「映画100年 アメリカ篇」でもこの黒人少女の拉致殺害場面を引用していた。参考までにスコセッシが選ぶギャング映画15本はここをクリック。 ――ということで、セミ・ドキュというのも同じならば、お話も驚くほど先述の山本薩夫『暴力の街』に似ている。まったく関係ないと思われている左翼独立プロ製作の社会派映画『暴力の街』と、ハリウッドのフィルム・ノワールの傑作『無警察地帯』がそっくりだとおわかりいただけただろうか。