コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 林土太郎が語る三隅研次のことほか   Text by 木全公彦
『無頼剣』ほか
――『眠狂四郎無頼剣』は試写を見た原作者の柴田錬三郎さんが「これは狂四郎ではない」と言って怒ったそうですが。

それは知らん。

――ラストで屋根から滑り落ちてくる竹細工の場面がよかったですね。竹細工が瓦から滑り落ちるときの音なんか。同時録音ですか、オンリー(録り)ですか?

オンリーです。あれは時間がかかったな。まあ、あの頃は会社に余裕があったから、好きなようにやらせてもらうことができた。今はただ画が映ってさえいればいいみたいになっているからね。昔は給料をもらって贅沢させてもらったってことです。

――三隅さんは『釈迦』(63)なんていう日本初の70ミリ大作も監督されていますが、永田(雅一)社長から信任があったんでしょうか。

そうですね。おとなしい人間やから使いやすかったんと違いますか。腕も確かだし。神経が細やかで一生懸命やるタイプ。師匠の衣笠(貞之助)さんはもっと大らかな人やったけど。『釈迦』は見学に行きましたけど、いくつかの班に分けて、一生懸命やってました。三隅がよくなったのは泉鏡花の『婦系図』(62)をやってからじゃないですか。あれから作品の幅が広くなって、自分のやりたいものを突き詰めていくようになった。泉鏡花はお師匠さんの衣笠さんが得意やったけど。

――その衣笠さんなんですが、女好きと言われていますが、三隅さんはどうなんですか。

どうやったろ。冗談ばかりで、どこまでがホンマだったかどうなのか分かりません。撮影所で自転車に乗っている仕出しの女の子のおいど(尻)を通りすがりにさっと触ったりはしてましたけど、ホンマはカタかったんやないですか。奥さん厳しかったから。

――三隅さんはシベリアに抑留されていましたね。

私も兵隊に行っているんです。ラバウルでした。

――戦争の話はされたんですか。

いや、ほとんどせーへんかった。私ら南方やけど、三隅はシベリアに抑留されてつらい思いもしたかもしれへん。

――少年時代もなかなかつらいことが多かったみたいですね。

そうらしいですね。「わしは貧乏人でよう苦労した」程度みたいなことは私らにも話していました。まあ自分のことをベラベラしゃべるタイプではなかったですよって。

――三隅さんの趣味というと?

絵を描いていたりした。

――油絵ですか。

いや墨で。もらったこともある。風景画が多かったかな。

――絵心があるから映画の画作りはうまいのかな。

そういう面はあると思います。

――写真で見ると割と大柄のようですけど。

図体は大きいですよ。手も足も大きい。でもリズム感や運動神経はなかったな。