映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第72回 「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」物語 その2
アルバム『コレクターズ・アイテム』
マイルス、最初の「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」
さらにもう一曲、というか一バージョン、今度はマイルスのアルバム「コレクターズ・アイテム」“Collectors’ Items”(PRESTIGE)に収録されている「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」“Round About Midnight”を聴いてみたい。録音月日は53年1月30日、この日づけに注目して欲しい。51年ディジーの「バードランド」盤から二年後、そしてマイルスのアルバム「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」盤より三年前。つまり、これがマイルスにより演奏録音された最初の同曲なのである。この版もネットで数種類(アルバム単位でも楽曲一曲でも)アップされている。

一聴すると、こちらはずっとガレスピー寄りの雰囲気になっているのが分かる。要するにこの頃はマイルスもガレスピーのようにやっていたのだ。ただし、明らかなのはトランペットのミストーンの多さ。高音(ハイノート)が綺麗に出ていない。もともとマイルスはアクロバティックな高音演奏が苦手なヒト(こういうのが得意なヒトを「ハイノート・ヒッター」といい、それだけで珍重されている)であり、ガレスピー調なのに高音がダメ。

チャーリー・パーカー

中山康樹著『マイルスを聴け!バージョン6』

アルバム『コンプリート・プレスティッジ・レコーディングス/マイルス・デイヴィス』

ソニー・ロリンズ
ということは凡演の極みというべし。自身のリーダー・アルバムにわざわざこの曲を収録したのは、彼なりのこだわり(やっぱり好きだったんじゃないでしょうか、この曲が)であろうが、師匠のようにはいかなかった、ということになる。実は「師匠のようには」というのがこの場合ミソで、彼が「ガレスピーになってみたかった」演奏がこれだ。というのが、他のメンバーを見れば分かるから驚く。ここでも「バードランド」盤と同様、サックスをチャーリー・パーカーが担当しているのである。しかし契約の関係で(?)名前を出せず、アルバムのクレジット表記では「チャーリー・チャン」としてある。その上、珍しく、吹いているサックスはアルトではなくテナーである。アルバム・タイトルの意味は「買わないわけにはいかないお宝」ということだが、そういう「買わなきゃポイント」最大の要素がこの特異なパーカーの参加スタンスにある。変名でも、これがパーカーであることは皆分かっていたわけだ。
このセッションは音楽を聴くだけでは分からないが大変だったらしい。中山康樹の「マイルスを聴け!バージョン6」(双葉社文庫)によると「警察に見張られていると錯覚したパーカーが、ヘロインを打つのをやめたはいいが、かわりに酒をがぶ飲みして、テープが回りはじめる頃にはヘベレケ状態だった。マイルスはいった、『怒ったぞ!』。そして楽器を片づけて帰ろうとした。そこでパーカーが眠い目をこすりながら声をかける、『なあマイルス、仲良くやろうじゃないか』」こういうシチュエーションにおいて録音されたのがこの曲である。完全にマイルスは「坊や」あつかい。もう少し、この間の事情を別の証言で説明しておく。引用は「コンプリート・プレスティッジ・レコーディングス/マイルス・デイヴィス」“Miles Davis Chronicle The Complete Prestige Recordings”(PRESTIGE)の解説(ダン・モーゲンスターン。小山さち子訳)から。

彼のスタジオ復帰は、幸先は悪くなかった。チャーリー・パーカーをサイドマン(テナー)で雇い、お気に入りのテナーマン、ソニー・ロリンズと組ませた。思いつきは大胆だったが、実際はそうは問屋がおろさなかった。(略)まずマイルスが遅刻した。おまけに彼は不機嫌だった。パーカーがジンとビールを注文した。(略)パーカーは5杯目を目の前でぐいっと一気に飲み干すと、あっという間に寝てしまい、しばらくしてだるそうに起きてきた。(略)マイルスはいまいち調子が出なかったので、アイラ(・ギトラー。このセッションの「監視」役。ジャズ批評家)は、彼としては珍しく、マイルスを落ち込みから奮い立たすつもりで叱咤した(略)。ところが、ミュージシャン全員がびっくりしたことに、マイルスはホーンをしまい始めた。ギトラーがすがって謝ったので、マイルスはまたケースを開いた。こうした一騒動の後で、興味深い、時として異例な音楽は生まれたのだった。

メジャーのコロムビアでは考えられない、インディーズのプレスティッジならではの「どしゃめしゃ」なレコーディング風景。アルバムはこの53年時のセッション四曲に加え、それから三年後に行われたセッション三曲も収録しているが後者にはもはやパーカーは入っていない。彼は55年3月12日に世を去っていたからだ。亡くなったパーカーの演奏が、しかもマイルスとの最後の共演(公式録音では)、というのも「買わなきゃポイント」であろう。

アルバム『サキソフォン・コロッサス』
ポイントはさらにある。引用文にあるようにもう一人のテナーがソニー・ロリンズだ。彼はどちらにも登場するが、特に注目したいのが後者セッション。この三カ月後に彼はジャズ史に残る名盤「サキソフォン・コロッサス」“Saxophone Colossus”(PRESTIGE)を吹き込むことになる。つまりパーカー、マイルス、ロリンズという微妙に時代が異なり、それゆえ演奏スタイルも異なるジャズ・ジャイアント三人の「合いそうで合わない共演」をこのアルバム「コレクターズ・アイテム」に聴くことが可能なのだ。ついでに同曲の解説もモーゲンスターンを引用してしまおう。

「ラウンド・ミッドナイト」は、時計の厳重な監視のもとに生まれた曲である(制限時間あと15分、しかも絶対厳守という苛酷な状況の下で録音、と前の部分に説明がある。上島注)。(略)バード(パーカーのあだ名。上島注)がオブリガート、マイルスがメロ、ロリンズが最初と最後のコーラスでブリッジを、そして再びバードが然るべきテナー・ソロを吹いている。彼らはディジーのエンディングを用いて、モンクのこの名曲の悲しみに満ちた演奏を締めくくる。これはこの先しばらくマイルスのレパートリーとして残ることになるが、この演奏が沈みこまないのはパーシー・ヒース(MJQのベーシストとして有名。上島注)の力によるところが大きい。

そういうわけで「凡演」ではあるが、聴くべき価値は高い一曲。
ここで後述ポイント④のディジー・ガレスピーについて触れておきたい。マイルスの師匠と呼べるのが直接にはディジーとパーカーの二人。二人がモダン・ジャズの単純に言えば創始者コンビで、彼らの新しいジャズを「ビバップ」、または「バップ」と言った。どういう英語じゃ?と思われるであろうが、音高の上下高低差の大きいメロディをスキャットで歌うと「リバッパ・ビバッパ」みたいな感じになる、これが語源。この手のバップ・スキャットを始めたのもディジーであった。

ビリー・エクスタイン

ガレスピー著『To Be or not To Bop』
アヴァキャンのライナーを引くとマイルスが二人に会ったのは「ビリー・エクスタインのバンドが町にやって来た時」だった。最初のバップ・バンドとも言われるエクスタインのオーケストラに二人は働いていたからだ。「その無口な少年に魅せられたガレスピーは彼を楽団に在籍させた」。もっともこれはほんの一時期だけに過ぎない。イリノイ州アルトン出身のマイルスが故郷を離れ、ニューヨークのジュリアード音楽院に学んだのは1945年、19歳のこと。「そこで彼はハーモニーと音楽理論の基礎を固めることとなる。ディジーは彼にピアノを学ぶことをすすめ、そのことによってマイルスは独自にコードを駆使した演奏ができるようになった。」もっとも、その技量についてはこうも書かれている。「ジャズの世界において、彼も始めの頃はディジー・ガレスピーに比べると随分見劣りがしたものだ。そのプレイは、明らかにガレスピーの影響下にあったものの、年長かつモダン・ジャズの模範たるガレスピーのプレイとはまるで似ていないものであった。」ただし56年当時、既にマイルスはディジーの影響を脱し、彼独自のスタイルを編み出しつつあるところであった、とも記されている。
アヴァキャンの捉えるその演奏スタイルとは①「バップからくる力強さとギザギザしたような鋭さ」、②それに反するものだが「続いて起こったクールの時代からくる物悲しくもどこか力の抜けた点」である。①がディジー的=バップ的なもので②がマイルス的=クール的なもの、と規定できるのは容易に分かる。この点はジャズ史で繰り返し強調され、検証されてきたが、本項もその歴史的姿勢に変わりはない。それに照らして述べれば、「コレクターズ・アイテム」における同曲演奏ではマイルスは①を無意識に目指して(ただし失敗して)いるわけだ。この件については有名な言葉が残されており、小川隆夫もマイルス伝に引用している。ガレスピーの著書「トゥ・ビー・オア・ノット・トゥ・バップ」“To Be or not to Bop”(アル・フレイザーとの共著。ダブルデイ社刊)から。マイルスの言葉である。

あのころは、オレのスタイルも、みんなとそれほど違わなかった。ただ、テクニックがないから高音部が出せなくて低音部を中心に吹いていただけだ。それでディジーに訊ねた。《あんたのように吹くには、どうすればいいんだ?》ってね。そうしたら、こう言われたよ。《できるさ、わたしが吹いている高音部中心のプレイを低音部に置き換えれば、お前のスタイルになるじゃないか》

含蓄あるお言葉。師匠たる者、弟子にはこうありたい。「お前にゃハイノートは無理だ、やめとけ」とガレスピーは言っているのだが、言い方一つでアドバイスになる。事実、マイルスが三年後の「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」再演ではアクロバティックなイントロはきっぱり捨てて、すっきり低音部でまとめたことは述べたとおり。