映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第67回 人間国宝ジャズ 山本邦山追悼その5
山本邦山「ブレス」
山本邦山とドイツ人脈
ジャズ的インプロヴィゼーションの追求という邦山の70年代以降の方向性がもう一枚、別な形で実現されたのが84年の「ブレス」“Breath”(日本コロムビア)である。これは日本主導でなく、やはりドイツ側からやって来たもので、精鋭プロデューサー、北ドイツ放送協会イエンス・ウーヴェ・シェフラーの長年の意気込みあればこその企画であった。ライナーノーツからそのいきさつを記述していこう。シェフラーは述べる。「私が初めて尺八の音に出会ったのは、1970年、銀座のあるレコード店だった。当時私は大阪万国博のドキュメンタリー番組を制作していて、それに使う音楽を捜していた。」彼はそこで山本邦山による尺八ミュージックを聴く。
それはどうやら当時RCAレコードから発売されていた「琴 セバスチャン・バッハ」シリーズと「琴 アマデウス・モーツァルト」、「琴 四季」で、既に私はこうした類のアルバムを「安直な」企画として批判しているが、ファースト・コンタクトというのはえてしてこうした大衆的なアプローチを取るものなのだろう。ヨーロッパにはやはりジャック・ルーシェというクラシックのジャズ化を専門とするピアニストがいて、シェフラーもこうしたジャズには耳になじみがあったものの、日本人がそれをやる、それも伝統的邦楽器で、というのが驚きだった。
それから12年の時を経て、彼はようやく邦山に東京で会うことが出来た。自局でのドキュメンタリー番組制作の打診である。実現にはそこからさらに二年を要したのだが。

尺八の音を聞いて以来、私はドイツの視聴者にこの楽器の美しさ、豊かな可能性をどうしても伝えたいと考えていた。それには、私達にとって、異質なメロディやリズムをもつ伝統音楽のみならず、日本人の現代音楽家の作品の、オーケストラと尺八による協演、また、ジャズやポップスの演奏にも、尺八の魅力は大いに生かされると思った。(略)私は山本に、特に協演してみたいと思うミュージシャンはいないかとたずねてみた。(略)驚いたことに、私の問いに対してためらいがちに、一度山下洋輔と協演してみたいと答えた。考えてみれば、この才能豊かなジャズピアニストとの協演が、それまで実現していなかったのはむしろ不思議だった。

山下洋輔は、邦山のヨーロッパでの高い評価とは別に、自身のトリオによるフリージャズでやはりドイツの聴衆から支持されていたピアノスト。だからシェフラーの「驚き」は彼ら二人がそれまでセッションを持ったことがない、という意外性に対するものだったのだ。「かくして、1984年4月13日、このディスクの録音と私達の撮影が実現したのである。」そして引用。

山下と山本はこのセッションにもう1名を加えることを提案した。富樫雅彦――この天才的パーカッショニストは、1980年、ドナウェッシンゲン音楽祭に山本と共に参加し、またかって、60年代中頃には、数ヶ月間ではあるが、山下は富樫のジャズカルテットで、ピアニストとして演奏していたという間柄だった。

富樫と山下の確執については連載第39回で触れてある。両者の別れから14年後、80年再会セッションがアルバム「兆し――富樫・山下デュオ」(NEXT WAVE)になっており、CDにならなかった「兆しライブ」もレコードで聴ける。「ブレス」はこうした経緯を経て成った企画である。そして今回最後の引用。

このディスクをお聞きになる方々は、きっと、協演に立ち会った私達と同じ感動を味わうことができると思う。(略)アルバム・タイトルとしては「呼吸」「息」という意味の「ブレス」という案が出された。山下も山本も富樫も同意した。このディスクを聴く方々も、私同様、「息をのむような」思いを味わうことと思う。(訳・高田ゆみ子)

邦山とジャズの関わりは、自身の言葉を引くなら、彼が尺八で立っていくに当たって大きな切っ掛けを与えてくれたものであり、彼の音楽人生にかなりの比重を占めてはきたが、あくまで彼の挑戦の一つであって、ジャズに宗旨替えしたのでないことは当然である、とはっきりしている。
邦山の側からはその通りであり、これ以上私が付け加えることもないが、日本におけるフリージャズという視点からは是非記しておかねばならないことがある。それは今回の記述で、邦山に比して明らかに軽視してきた村山実の重要性である。
この事実は富樫と村山の関わりから見えてくるのだが、これまできちんと語られたことはなかった。何故かというとシングル盤で一枚の共演セッションが残されただけでほとんど忘れさられた成果だったからだ。現在これが聴けるのは既述「和ジャズPLAYS民謡」と「同ジャポニスム」収録のおかげである。タイトルは「ムライキ」と「追分」、どちらがA面だろうか。村岡実とニュージャズ・プレイヤーズ名義だ。前者は渡辺宙明アレンジでドラムスは富樫。後者は富樫アレンジでドラムスはジョージ大塚である。このリリースは何と68年で、尺八とフリージャズの結びつきは邦山よりもずっと早い時期に当たるではないか。二枚のライナーノーツから内容をまとめて記す。

モダン尺八の第一人者である村岡実が、1968年に「ザ・ジョーカーズ」とのエレキ・サウンドでシングル「闘牛士のマンボ」「会津磐梯山」を立て続けにリリース。その流れを受けて作られたシングル。「ムライキ」は渡辺と村岡が共作した知る人ぞ知る和モノ・スピリチュアル・ジャズの傑作。「追分」は信濃を起源に各地に広がった民謡。富樫アレンジが冴えるスピリチュアル民謡ジャズ。

こういうのを何でも「スピリチュアル・ジャズ」と総括してしまうのは、私は共感しないが、じゃどういえば満足かと問われても答えようがないから、きっとこんなもんで仕方ないのだろう。一応書いておくと別にそういうジャンルのジャズが存在するわけではなくて、アメリカのジャズのさるマイナー・レーベルのコンピレーションCDが編集された際に特色として命名されたものであり、フリージャズだが騒がしくなく、メロディが分かりやすくてリズムがゆったりしている場合に何となくこう言うことになっている。
それにしても先行する二枚のシングルも気になるところだ。エレキ・サウンドによる「会津磐梯山」が特に。こういうタイプの音楽では寺内タケシが有名だが、そこに村岡の尺八が入るとどういう感じになるものか。そして民謡のモダン尺八バージョンという「ありがちな」流れが富樫雅彦、渡辺宙明を呼びこむという意外性。人脈はそこまでと全く異なるわけで、その上、今となってみればこれ一枚で完結してしまっている。村岡でなく山本邦山にこの人脈は継承され、上記のセッションの数々が生み出されることになるのだが、そうした経緯の裏側に何があったのか、もはや誰にも分からない。次回は富樫、佐藤、菊池のリーダー・アルバムを中心に邦山との関わり、また現代音楽における邦山の位置づけも述べたい。(続く)