映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第67回 人間国宝ジャズ 山本邦山追悼その5
尺八モダニズムと1960年代
一九六〇年代というのは、日本の音楽史上最も活力に満ちた魅力のある時代の一つだったと思う、と山本邦山は著書「尺八演奏論」(出版芸術社刊)に述べる。「日本の音楽」とは狭義では現代邦楽において、という意味である。著書から総括しておく。1958年「邦楽四人の会」の第一回演奏会から始まった活動が一気に加速し、62年「東京尺八三重奏団」、64年「日本音楽集団」設立に至る。ここから現代音楽の作曲家による新作邦楽創作の気運が生まれ、「そうした中で、六四年に諸井誠氏が尺八のソロの《竹籟五章》を書かれて大変話題になった。この曲は、すごく新しい感じがし、『うわぁ、素晴らしい』とびっくりしたものである。とても現代的だが、よく聴いて一つひとつ音を分析していくと、古典尺八本曲のようでもあり、それでいて新しい匂いがした。」
ここまで邦山の参加はないが、65年に「民族音楽の会」、66年「尺八三本会」と彼自身の設立による動きが見られるようになる。以下引用。

当時は、北原篁山、青木鈴慕、横山勝也、酒井竹保、宮田耕八朗などの皆さんが、尺八演奏家としてすでに、現代音楽でそれぞれの個性をもって活躍されていたので、自分は自分なりの違う道を求めたいという気持を持っていた。それで大きな転機となったのが、前述したとおり一九六七年に「原信夫とシャープス・アンド・フラッツ」とともにニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに参加し、大きな反響を呼び起こしたことであった。

以上のキャリアについては本コラム第63回第64回に触れてある。
もう一つ特筆すべきは1966年である、と邦山は言う。「この年に武満徹氏が《エクリプス》と《ノヴェンバー・ステップス》という素晴らしい作品を発表され、《ノヴェンバー・ステップス》は横山勝也氏の尺八と鶴田錦史氏の琵琶で小沢征爾氏指揮のニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団によって演奏され、これが大変な成功を収め、アメリカで大きな反響を呼んだのであった。」引用する。

一方はクラシックの《ノヴェンバー・ステップス》で、他方は私のジャズで、尺八がアメリカ中の注目を浴び、新聞でもかなり取り上げられて話題になり、随分意気が上がったのである。それが逆輸入されて日本の新聞にも載り、「尺八ブーム」といわれる現象まで起きたのであった。

日本人の演奏するジャズに「尺八ブーム」がコンタクトして生まれたアルバムの幾つかは第65回<http://www.eiganokuni.com/kamishima/57-1.html>にタイトルを挙げておいた。また尺八が使われるのはそのうちのごく一部ではあるが、とりあえず手頃なコンピレーション・アルバムとして「和ジャズPLAYS民謡」と「和ジャズPLAYSジャポニスム」(共に日本コロムビア)があることもそこで紹介した。上の引用から分かるように、邦山の言う「尺八ブーム」というのは必ずしもジャズと尺八の融合を意味したわけではない。むしろ邦楽の閉じられた趣味的世界が、新作レコーディングや演奏会形式の隆盛のおかげで大衆の耳にすんなりと届くようになった、つまり「開かれたものになった」という点に本義がある。あくまでもその現れの一つが「尺八ジャズ」なのである。現代音楽における尺八という問題に関しては、武満徹の関与に留まらず記述する価値があるので次回、改めて触れることにしよう。
先の二枚の「和ジャズPLAYS」シリーズには「ホーハイ節/三橋貴風(尺八)、山屋清(編曲)」、「安里屋ユンタ/三橋、山屋」、「鈴慕/三橋、山屋」等の曲が聴かれる。これらの曲が収録されていた本来のレコードは「尺八 山の詩」、「尺八 里の詩」(共に76)、「虚無僧の世界」(77)であるが是非それぞれの単独CDリリースを要望したい。

邦山の著書から続いて、彼の考える「尺八音楽」の方向性について引きたい。

現代の尺八音楽は大きく二つに分かれるように思う。リズムが明瞭に動く拍節的な音楽と、強いていえば、音と音との「間」を大切にするいわゆる「空間音楽」…合奏するときお互いの呼吸を対置する、あるいは即興的なフィーリングによって雰囲気を盛り上げる音楽、この二種類である。

ちょっと分かりにくい文章だが、「空間音楽」の説明が、「合奏するとき」以降に続けて書かれているのである。五線譜に記譜するのが簡単な前者に対して、それが難しい後者。そういう区分も出来る、と彼は述べる。

こうした区分で見れば、ここまで紹介してきた「尺八ジャズ」、即ちジャズと尺八のフュージョン・ミュージックは単純に言えば皆、前者であった。その先駆であり代表格が「ニューポートのシャープス&フラッツ/原信夫(指揮)、山本邦山(尺八)、前田憲男(編曲)」であるが、ここでもう一枚、こうした傾向の作品を挙げておこう。ただし山本邦山のアルバムではない。それは「BAMBOO(バンブー)/村岡実」(キング)である。
村岡実もまたジャズ尺八の第一人者で、多くのアルバムを残しているが、邦山に先立つこと一ヶ月、今年1月2日に90歳で亡くなった。TBSラジオでお昼前の十分間、長い間放送されていた番組「永六輔 誰かとどこかで」のテーマ曲「遠くに行きたい」の演奏者として知られる(オリジナルはジェリー藤尾の歌謡曲)。そういう見地からは山本邦山よりも有名かもしれない。ただし、この演奏はジャズではない。本連載的には「BAMBOO」に収められた「陰と陽」“The Positive and the Negative”が近年大いに評判を呼んだことで改めて記憶されることになった。67年「ハーレム・ノクターン これぞモダン尺八」と68年「これぞモダン尺八 第2集」(共に日本コロムビア)もCD化されており、山屋清による編曲と相まってスタンダード的なモダン・ジャズと和の尺八の融合といういわば「王道」パターンをより強調して成功を収めている。70年の代表作「恐山 村岡実尺八リサイタル」(日本コロムビア、大映)のCD化も望みたいところだ。

村岡のプロフィールをCD「バンブー」から引用しておく。1923年生まれ。宮崎県北諸県郡出身。39年、古典尺八を都山流に学び、戦後は菊地淡水師のもと民謡尺八を習う。(略)楽器の改良、奏法の現代化を研究するため59年に都山流を離れる。62年から3年間〈尺八三重奏団〉を結成。解散後、尺八の大衆化を図るためフリーとなり、歌謡曲、ポップス、ジャズらの分野に進出、精力的にレコード制作に乗り出す。(略)67年に尺八界初のジャズ作品『ハーレム・ノクターン』がNYでも好評を博し、ハービー・マン(フルート)との共演を実現。マンのリーダー作『日本の印象/ポップ・インプレッション』(1974)にも客演する。70年に和楽器中心の“ニュー・ディメンション・グループ”を結成し、西洋楽器との融合を実験する音楽にもアプローチ。第1弾アルバム『バンブー』を発表。(以下略)
若杉実によるライナーは実に面白く全部引用したいほどだが、そういうわけにもいかないので各自探して読んでいただきたい。だが本連載的見地からちょっとだけ引きながら記述する。「純邦楽の厳格な規律を断ち切るように、他ジャンルとの親和性を高めることから村岡のバンドには“ニュー・ディメンション”と銘打たれた。」しかし「ニュー・ディメンションをひとつのスタイルに縛りつけると十分な楽しみはそこから得られない。」彼らグループが取り上げた楽曲はアメリカのスタンダードだけではなく、民謡、オリジナル、ポップスと幅広く「尺八ジャズ」的な意味で狭めて定義しても無意味だからだ。「純邦楽から脱却する姿勢は今回同時リイシューされてる山本邦山のそれより村岡の方が明白で、確信犯的とも言えた。(略)村岡にとって『バンブー』、ニュー・ディメンションは道場であり実験場であったのだ。」ちなみに彼のニュー・ディメンション・グループは尺八の他に琴、琵琶、鼓、和太鼓セット、ベースから成る。「陰と陽」の和太鼓が現在人気が高いものの、一曲目「テイク・ファイブ」“Take Five”の鼓のユーモラスな音色なども聴きどころである。
さらに付け加えれば、邦山よりも村岡の方が明らかに音色は明快でメロディも明瞭。ひょっとすると尺八の種類自体が違うのではないか。このあたりは楽器のこともよく知らずに書いているので何ともいい加減だが、尺八は太さ、長さ、それに楽器の孔の数も様々。一時期はより吹きやすく吹き口を改良したものまであったというから、邦山と村岡が同じ流派の出身ではあっても全く異なるタイプの楽器を使用していた可能性は高い。
ただ、皮肉なことにこうした「ネの明るい」尺八がイージー・リスニング・ミュージックつまり「歌のない歌謡曲」的なアプローチに彼を導いたということはあったと思う。一時代を画したのは邦山ではなく村岡だったのだが、その分、方法的な深みは介在する余地を失ってしまった。これは必ずしも村岡実批判ではない。邦山にしても例えば「琴 セバスチャン・バッハ大全集」(BMGジャパン)といった安直なアルバムを作っているし。こうした、悪く言えば「イージー・ゴーイング」なメロディ志向というのは、多分、現代の邦楽演奏家が邦楽から外の世界に出ようとする時に必ず通る道なのだろう。本アルバムはタイトルから分かるとおりバッハの小曲を片っ端から邦山の尺八、沢井忠夫の箏(こと)中心で演奏するもの。本来は数枚のレコードでリリースされたが、現在では上記のとおりまとめて一枚のCDになっている。コンセプトは安直だが、邦楽器で西洋音楽を演奏することに伴う困難とその克服というのは大前提としてあるわけで、そうした点から評価するにやぶさかでないという人もそれなりに多い。「五線譜に記譜することが簡単」なればこそ、そこに尺八で参入することのギャップが際立つ。いわば「邦楽」がどこまで「洋楽」的であり得るかの試金石といったところだろうか。