映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第65回 人間国宝ジャズ 山本邦山追悼その3
現代音楽と民族音楽
「和ジャズPLAYS 民謡」で中村八大モダン・トリオによるアレンジされたジャズ演奏を聴ける「八木節」は言うまでもなく日本を代表する民謡の一つである。ウィキペディアによると「群馬県伊勢崎市堺中島で生まれ、育まれた」とされ、異説も含め起源が詳述されている。即ち民謡としては例外的な事例だが、成り立ちがかなり具体的に分かっている。農民や漁民による祭歌が起源ではなく、大正時代、レコードに吹き込まれ、また寄席で芸人達に歌われて都会から全国的に爆発的に広まったのも異色。一種の流行歌だったようだ。多分そうした事情のせいだろうが、ジャズとの相性も実にいい。この人が歌うと何でもジャズになってしまう榎本健一も歌詞を変えて「エノケンの八木節」をSP盤でリリースしているほどだ。歌詞(替え歌)以外は普通にやっているだけなのだが実に素晴らしい。
この民謡を日本の現代クラシック音楽で「そのまま」やったのが外山雄三作曲の「管弦楽のためのラプソディ」“Rhapsody for Orchestra”で、1960年7月の完成。八木節の他にもソーラン節、串本節、あんたがたどこさ、炭坑節、信濃追分を盛り込んで曲を構成している。当時のNHK交響楽団のステージ・マネージャーが、指揮者でもあった外山に示唆して日本民謡をふんだんに使った新作をN響の海外公演用に作らせたもの、と外山自身が「N響アワー」のインタビューで語っている。初演は岩城宏之、リハーサルの際に短く刈り込んだと言われるものの最初の楽譜はもう残っていないそうだ。現行7分、元々は22分という説が有力でそうなるとオリジナルの形は大分違っていたのだろうが、アンコールを想定していたとも言われ、それには現行版の方が断然良い。カットにもそうした事情があったに決まっている。
「急―緩―急」の三部構成からなり、八木節が現れるのはクライマックスの「急」パート。パーカッションも効果的で、民謡の現代クラシック・バージョンを世界にアピールするに当たって和のリズムが是非とも要請されていたと分かる。民謡とジャズの相性の良さというのも要(かなめ)はリズムにあるわけで、八木節のこうしたジャンルを超えた音楽的再発見の意味はそこにある。この楽曲はいわば「楽しい現代音楽の走り」みたいなものなのだ。ただし、そういう楽曲がN響の戦後初の海外公演を契機に出現したところに意義がある。現代音楽の先鋭的語法(無調、数学性や反復の強調、エトセトラ)や傾向を咀嚼したり開拓したりという方向性は日本の現代音楽作曲家達にも既にあったが、ここで必要とされたのはそれらの前衛性ではなく、いうなればそこから後退したとも見られかねない音楽的民族性であり、その一点で同時代の日本人ジャズと連携することになる。中村八大がジャズ・ピアノで八木節をやったのが翌61年であった。
さて、1958年つまり「管弦楽のためのラプソディ」からさかのぼること二年、黛敏郎が発表したのが「涅槃交響曲」である。この曲は尾高賞受賞作品としても知られるので、まずこの賞の由来から記しておく。アルバム「N響 尾高賞受賞作品1」(キング)に付された石田一志のライナーより引用。

「尾高賞」は1951年(昭和26年)2月16日に40歳の若さで世を去った当時のNHK交響楽団常任指揮者尾高尚忠の生前の音楽界に遺した功績を讃えて、1952年8月に設定された。(略)尾高の活躍に対して、没後に文部大臣から文部大臣賞が贈呈されたが、この賞金を一周忌に遺族はNHK交響楽団に「わが国の音楽界の有意義な事業のために使用してほしい」と委託された。(略)具体的には、賞の対象は、「過去1年間に公開あるいは放送によって初演された交響管弦楽曲(独奏あるいは声楽をともなうものを含む)のうち、民族文化に根ざし、演奏者及び聴衆の共感が期待できる創造的内容を有する邦人作品」とされている。

こういうところにもちゃんと「民族文化に根ざし」と注文がついてくるのが可笑しい。言うまでもないが、口で言ってるだけなのである。特別にそういった音楽的規定があるわけじゃないのだが何となく、聴衆としては分かった気になるではないか。そして、そういう意味では最も公式的に「尾高賞にふさわしい」雰囲気を持って登場したのが第七回の「涅槃交響曲」だった。精神としては「管弦楽のためのラプソディ」に同じくするものだ。もっとも「梵鐘を音響解析した成果をオーケストラで再現するという『カンパノロジー・エフェクト』、禅宗や天台声明の経文からとられたテキストによる合唱、さらに3管編成のオーケストラがステージ中央、低音金管楽器グループが左手、高音木管楽器グループが右手に配され、会場の3方向から異なったカンパノロジー素材による音響が交錯するという大規模な空間音楽としての特色も備えている。新しい音響の追求、あるいは伝統の再発見など、この作品を契機とする60年代の特徴である」と石田は続けている。

実際に聴いていただくのが一番なのだが「管弦楽のためのラプソディ」とはかなり違う、とははっきり言える。ところが「違う」にも拘わらず、現代音楽的語法で得られたその成果はちゃんと「民族文化に根ざし」たものになっているというのがミソである。声明(のコーラス)と鐘の音(のオーケストレーション)という「音楽的素材」がもろ「和の世界」なので、これまた「楽しい現代音楽の走り」となっている。第二楽章の「ダッダッダ」とたたみかけてくる感じなど映画『ゴジラ』(監督 本多猪四郎、54)のテーマ曲の雰囲気をふと思い出させたりする。それはもちろん半分冗談だが、しかし黛敏郎が『ゴジラ』の作曲家伊福部昭の愛弟子なのは事実である。思えば『ゴジラ』の映画音楽こそ「楽しい現代音楽の走り」そのもので、かつて特撮少年達はあのメロディを「♪来るぞ来るぞ、ゴジラがまた来るぞ」と言っていると思いこんでいたものだ。印象的な節回しは実はラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」のフィナーレから来ているという説もあるにはあるが、この辺の話は正確には「KAWADE夢ムック 伊福部昭」(河出書房新社刊)の片山杜秀による解説をきちんと読んでいただくのが一番。ヨーロッパ音楽の洗練された音楽語法から廃除されるしかなかった、より古い語法「フリギア旋法」がアジア的に、というか伊福部昭的に洗練されて生まれたのが『ゴジラ』の「♪ドシラドシラドシラソラシドシラ」であって、「♪来るぞ来るぞ」じゃないと判明する。

そして音楽の技法的な側面に触れた後、総括的に片山は「ここまでゴジラがひとり勝ちするなんて、かつて誰が予測できたでしょうか」と述べている。「かつては黒澤明と早坂文雄のコンビの方がゴジラと伊福部のコンビよりも芸術的というか、そういうふうに受け取られがちだった。けれども『七人の侍』や『羅生門』よりも『ゴジラ』の方が文化的に強いのではないか。それは作品のよしあしなんてことではむろんなく、トータルな意味での文化的な喚起力といいますか。時代を超えて世にアピールする点では、ゴジラの方が強いのではないか」とも。早坂と伊福部の評価の逆転現象(「逆転」というのは極端だろうが、ここは片山の文脈に沿ってこう記しておく)に関しても考えるべきことは多いのだが、とりあえず本コラムでは両者が戦前から北海道を拠点にする音楽的同志であった点をまず指摘しておきたい。(続く)