映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第56回 リスニング・イヴェント「アラウンド・コメダ」に参加して
56年の雪解けとその後の日々
ポーランドにおけるジャズ史の画期は1956年である。この年が東欧圏におけるジャズ解禁年で、ポーランドでは56年、57年と続けてソポト・ジャズ・フェスティヴァルが開かれた。映画監督イエジー・スコリモフスキがコメダに初めて会ったのもこのジャズフェスだったことは既に記してある。

東欧の政治史的に見れば56年とはソ連共産党第一書記フルシチョフによるスターリン批判演説が二月に行われ、これをきっかけに東欧圏全体に自由の気分が満ち溢れたいわゆる「雪解け」の年である。もっともこの気分も一時的なものに過ぎず、ハンガリーでは民衆の側から起きた現体制批判の機運をソ連が軍の武力を行使して弾圧する事態となった。ソ連の側からはこれを「ハンガリー動乱」と呼んだが、冷戦体制が崩壊した現在では「ハンガリー民主革命」との呼称が一般的だ。この鎮圧をきっかけに国外脱出した映画人の中にキャメラマンのラズロ・コヴァックス(渡米後『イージー・ライダー』等を撮影)とヴィルモス・ジグモンド(ラズロと共に渡米し『未知との遭遇』等を撮影)がいた、というのも今では有名。
ともあれこの年、ソ連からは『すべてを五分で』(監督エリダール・リャーザノフ)という「雪解け」映画の音楽映画の傑作も現れた。この作品については「ミュージカル洋画ぼくの500本」(双葉十三郎著、文春新書)から引用。

文化宮殿という施設でのニューイヤーズ・イヴのパーティで、若い連中はいろいろ派手な趣向をこらしているが、監督官は旧体制の代表みたいな御仁で、ジャズなどはもってのほかと、片っ端から演目を禁止する。その旧体制ぶりをひやかし、若い連中が監督官をぺしゃんこにして新体制の楽しみを満喫するというのが、この映画のテーマである。ソ連でもどこでも人間の気持にはかわりはない。この映画の若い連中は水にかえされた魚みたいにいきいきとして、それがまた微笑ましい。

この気分はまさしく56年のソポトの気分を代弁するものだ。
三曲目はコメダと共にソポトにこの年出演したジャズマンであるイエジー・ミリアンのビッグ・バンド・ジャズ。アルバム「ウェン・ウェア・ホワイ」“When Where Why”からの一曲“Treffung S-Bahn”。四曲目はヴァイブラフォニストとしての彼をフィーチャーしたアルバム「アシハバード・ガール」“Ashkhabad Girl”から“Rajd Safari”。どちらの音源も56年のものではなく、六十年代の音がした。続いてポーランド最高のビッグ・バンド・リーダーでサクソフォニスト、ヤン・プタシン・ヴルブレフスキで二曲。まず五曲目はドラマー、チェスワフ・バルトコフスキのアルバム「ドラムス・ドリーム」“Drum’s Dream”に参加した際の「グッド・タイムス・バッド・タイムス」“Good Times, Bad Times”。六曲目は64年録音の彼のモダン・ハード・バッパーぶりを示すテナーをフィーチャーしたもの。

彼については星野秋男が名著「ヨーロッパ・ジャズ黄金時代」(青土社刊)においてプロフィルをしたためているので引用しておく。

ポーランドジャズ協会の会長を務めたこともあるヤン・ヴルブレフスキは人望の厚い親分肌のミュージシャンなのだろうと思う。「ロリンズから最も大きい影響を受け、ベン・ウェブスターにも親近感を持っている」と語るように、激動と革新の六〇年代のジャズシーンにあって、難解なことは一切せずロリンズ的なスタイルで明るく快活にリラックスしてひたすらスイングし、良く歌うことが身上だ。(略)自己のリーダー作である一九六四年の『ポリッシュ・ジャズ・カルテット』“Polish Jazz Quartet”(MUZA)は彼にとってベスト・アルバムで、若い割に円熟した良く歌うテナーをタップリ聴くことが出来る。

七曲目にかかったのはヴァイオリン、テナー・サックス、リリコン(電気サックスの一種)奏者ミハウ・ウルバニアクのアルバム「フュージョンⅢ」“Fusion Ⅲ”から「ストレッチ」“Stretch”。この人はコメダの63年、デンマーク公演のメンバーの一人だが、早くに西欧に亡命するのに成功しておりマイルス・デイヴィスの「ツツ」“Tutu”(Warner Bros)にも参加している。