映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第54回 60年代日本映画からジャズを聴く その12 趣味的ミュージックとしてのジャズ…?
あなたの想い出
70年代中盤くらいから八木正生の仕事は映画音楽とジャズから徐々に離れ、それを基盤にしながらも、もう少し守備範囲を広げて舞台やバラエティ番組に積極的に携わるようになっていった。その頃の彼の姿をちょっとだけ解らせてくれるのが高平哲郎の追悼文集「あなたの想い出」(晶文社刊)である。これは高平が個人的に親交のあった有名故人の想い出をつづった短文集で、それぞれのタイトルを有名なスタンダード曲にしているのが面白い。楽曲解説(と本全体の装丁)を和田誠が担当。この本は実は私の趣味ではないが、ここは別に自分の趣味を云々する場ではないので、客観的には「良い本」としてお勧めしたい。で、その中で高平が八木とニューヨークに出かけた折のことを記している。タイトルに挙げられたスタンダードは「小さなホテル」“There's a Small Hotel”で、もちろん内容に即した楽曲が選ばれる仕掛けである。ジャズを聴きにというよりミュージカルを見学しに行ったらしい。滞在先のホテルでの贅沢な語らいのエピソード。この曲はペギー・リー版が有名で名盤「ブラック・コーヒー」“Black Coffee”(Decca)に収録されている。

この時期の八木の心境と環境がうかがえる座談会の記録が残されていた。「ジャズ・ピアニスト大いに語る ウイ・ラブ・ジャズ・ピアノ」(スイング・ジャーナル1975年4月臨時増刊「ジャズ・ピアノ百科」所収)、出席は八木の他に前田憲男、今田勝、八城一夫、そして司会は内田修。八木の部分を抜粋してお届けする。

「(八木)僕は今あんまりピアノ弾いてないんですよ。ただ月一回ピアノ・トリオともう一回はオーケストラでね。楽しみのために六本木のクラブでやってるんですよ。」「(内田)ミンゴス・ムジコですね。ボーカルと一緒だったりして。」「(八木)オーケストラの方は11人編成のいわゆるリハーサル・バンドですけれどエレクトリック・オーケストラという名前がついていて、つまりお客を電気楽器で感電させちゃう、という意味で。もっとも、そうかと思うと全然使わずにね。やたら吹きまくって楽しむバンドをやっているわけ。」「(内田)(略)もうちょっと詳しく話してくれない?」「(八木)何でもやっちゃう。まあスイングは少ないですけど。ロック・ビートでやることもあるし、デューク・エリントン風の2ビートでやる曲もある。別にレパートリーにこだわらずにやってるわけです。」(略)「(内田)あの頃(60年代前半ということ。上島注)は若いジャズメンが八木さんを別格みたいに尊敬してたの知ってるんだ。ところが今の人はそんな八木さんを知らない。いつの間にか八木さん聴けなくなっちゃって。それから見たのはNHKの朝の番組だったね。ぐっと貫禄が出て…。(笑)」「(八木)つまり、ジャズは日本人には出来ないと見限って、それでやめたんですよ。今でもそう思ってる。ただ僕はジャズ・ファンなわけ。」「(内田)前にSJ誌にセロニアス・モンクのこと書いてたね。いい文章書くなあと思って感心したんだけど、あれ読んでも、今言ったジャズ・ファンだって感じがすごくするよ。」「(八木)草月時代までは『おれの音楽はこれだ』みたいなつもりでジャズやってたわけ。ところが今はジャズ・ファンが出来ることを楽しんでるつもりなの。エリントンもベイシーもクインシーも好きだし、タワー・オブ・パワーも好きだし。とにかくみんな好きなんですよ。その真似したりして楽しんでるわけ。」

座談会という形式は一人で書く文章とは違う言葉をふっと招き寄せることがある。それはインタビューや対談とも当然重なり合うところだが、また微妙な違いも生み出される。本音とも建て前とも違って、どこか「無責任」なのだ。もちろんこれは良い意味で。ここでの発言でその点を見れば、言うまでもなく「ジャズは日本人には出来ないと見限って、やめた」という部分だ。これが八木の「心からの本音」でも「自分を殺した建て前」でもないのは明らかだ。現にトリオとかオーケストラとかで彼が当時やっていたのはジャズ以外の何物でもないわけだから。(続く)