映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第47回 60年代日本映画からジャズを聴く   その8 追悼若松孝二、そして八木のCM音楽の現代性
八木のCM音楽の実験精神
もっとも、そういう次第で八木が東映作品にミュージック・コンクレート的な試みを行ったりしたことはない。それは間違いないのだが、しかし八木なりの「ひそかに一人でほくそ笑む」というやり方はないこともない。例えば『暗黒街の顔役 十一人のギャング』(監督石井輝男、63)では女性スキャットをジャズ的というより明らかに現代音楽的に、つまり音響効果的に使って最大の効果を上げている。きっとこのヴォーカルは伊集加代子(現在加代)だろう。

八木と伊集の共同作業を知る上で現在格好の資料となるのがCD「八木正生CM WORKS」(SOLID RECORDS)だ。目的がCM用だから比較的短いものばかりだが38もの音源を収録している。濱田高志のライナーノーツによれば「録音は68年から69年にかけて」「おそらく三木鶏郎が主宰したテレビ工房から八木に発注された作品なのだろう」とのこと。「ジャズを基調とした楽曲から、フォーク、ロックにボサ・ノヴァ、パソ・ドブレなど多様な作風で書かれており、のちに彼のCM音楽における代表作となった『ネスカフェ・ゴールド・ブレンド』のプロトタイプのような音楽も飛び出す」。これは「ニコマート」音源のこと。スキャットはやはり伊集。
しかし本コラム的に興味深いのは日本軽金属のCM「日本のアルミ日軽金」である。同時代の八木の映画音楽には求めることが出来ない類の音の実験が果敢に試みられている。CMの最後に一言「日本のアルミを育てる日本軽金属グループ」と「本題」を述べるまでに、電気的に変調された「アルミ」の言葉が三十秒間にわたって女声、男声、子供の声でひたすら反復されるというもので、これもやはり伊集がフィーチャーされている。男の声は、映画音楽に強いアナウンサーとして知られた関光夫。懐かしい。こういう試行は映画音楽のような雰囲気的描写が前提とされる分野ではなかなか機会がないから、八木としてもチャレンジしがいがあったに違いない。録音は68年7月25日。データを読んでなるほど、と私(の世代の人間)が納得するのは、この実験音楽が70年に開催された大阪万博の未来的雰囲気のいわば先触れ、先駆けのように感じられるからだ。このイベントは何より映像と音響の未来像を提示するものであった。そういう観点からは、この音響は実験的であることによってより未来的な感覚を聴く者に与えていたはずだ。もっともライナーによると「発見された全てのテイクを一旦デジタル化。(略)よって、実際に放送で使用されることのなかったテイクやデモなども選曲対象としている」とのことで、果たしてこのCMが放映あるいは放送、されたかどうかまでは分からないようだ。
いずれにせよ、この音源が発見されたことで作曲家というより音響を創作し操作する、という意味の「サウンド・ディレクター」たる八木正生を私達は確認出来ることになった。ここで「日本のアルミ日軽金」に方法論に対応する武満徹の作品をやはり「全集③」の中から紹介しておこう(残念ながらこの音源に関する八木の発言は残されていないので)。それは「ヴォーカリズムA・I」「木・空・鳥」「クラップ・ヴォーカリズム」、いわゆる「ヴォーカリズム3部作」と呼ばれる56年制作のテープ音楽である。人間のナマな声やお囃子をテープに録音し、それを反復したり引き延ばしたりして作品化したものだ。これらの作品について61年に武満が語っていることを解説文から引用する。

最初ぼくはバイオリンとかオーケストラとか書きたいと思っていたけど実際にいろいろ聴いたり自分もやり始めたら、そういうものにたいへんそらぞらしさ感じたんだ。(略)いろいろな現実音を使ってやるというところに、ぼくの場合自然に飛躍したわけだけど、しばらくしてからフランスでそういう運動が起ってきたということ知ったんだ。(略)ぼくの場合、ピアノの音楽とかオーケストラとかいうものが、自分にはその時うそのような気がしたというだけの話だな。(略)あれは作品と思ってやってるんじゃないんだよ。(略)あの場合、自分がテープの音と直接交渉があるわけだよ。演奏家というもの通さないで直接交渉があると、自分でもわからないでいた自分のものがひっぱり出されたりすることがある。

また75年には寺山修司との対談でこの傾向の作品について回顧している。方法的な総括にもなっているので引用したい。

「(寺山)武満さんは昔、しきりとヴォーカリーズを作ったでしょう。たとえば『木』というのを『キ』という音だけで表現しようとしたり、愛を『ア、イ』という母音だけで表現しようとしたり。(略)言葉、非常に始源的な言葉と音の出会いをめざしたものだったと思う。」「(武満)ぼくは、音が発生してくる状態というものをつねに想像しています。(略)ぼくが試みたヴォーカリズム『愛』、それから『木』、『空』、『鳥』という、何でもない1つの言葉を主題としたものでは、その言葉が音として有っているいろいろな性質や要素を拡大することで、最初にその言葉が発生した状態をイメージしようというか、(略)あれは言葉についての試みというよりは、音に向かうためのデッサンというようなものです。」「(寺山)『ヴォーカリズムA・I』というのは、あなたは非常に不本意だろうけど、武満徹の代表作の1つであるというくらいの評価があっていいと思う(略)。だけど、ああいうことを全然やらなくなっちゃったね」。「(武満)そんなことはないよ。それは表面に顕著には出ていないかもしれないけれど。(略)つまり、1つの内にたくさん聴き出そうということはつねにあるわけで」。

八木の作った30秒のCM音源にはこうした背景があったのだ。