映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第43回 アナクロとコンテンポラリー、または長すぎる箸やすめ
コンテンポラリー設立とコーニッグ
今回の講演内容はこういうエンターテインメント色の強いものではなくあくまで硬派、戦時中の軍事ドキュメンタリー映画の脚本で映画産業に足を踏み入れた左翼コーニッグが、やがて戦後の赤狩りでハリウッドを追放されるに至る過程を、ワイラーとの関係を軸に見るというものだ。語り重視。当然映像クリップ(講演中に「箸やすめ」として流すヤツ)もなし(本当はあったが家にDVDを忘れてきてしまい、かけられなかった)。一時間強、みっちり制限時間いっぱい語らせてもらった。従って質問も受け付けず、感想も聞かず、無愛想な対応で申し訳ないことであった。
ところでこれまで「アナクロ」を含め、数回アテネ・フランセ文化センターで語らせていただいたが、ほとんど反応というものはなく、そういうもんだと思っていた。しかし今回初めてブログで感想を入れて下さった方がいた。勝手に名前を挙げて良いものかどうか判断できないのでイニシャルだけにさせていただくが、ジャズ評論家Hさんである。大変好意的なコメントで、深く感謝する次第。また講演内容と歴史的事実の矛盾も指摘していただいた。この点についても同じく深く感謝する。ただし、ある部分については私も付加的なコメントを述べておきたいと思う。講演内容に深入りはしないつもりだが、最低限の記述はしないと読者の方は何のことかわからないはずだから以下少しだけ。

コンテンポラリー・レーベルのレコード
Hさんの指摘する矛盾とはレスター・コーニッグのハリウッド追放の時期と(彼のその後のキャリアの拠点となった)コンテンポラリー・レーベルの設立時期のズレの問題である。コーニッグのクビ(業界追放)が52年だとすると、コンテンポラリー設立は51年だからヘンではないか、と言うのである。私は講演で、確かに、コーニッグはパラマウントをクビになってからコンテンポラリーを立ち上げたと述べたと思う。彼の指摘をブログで読んだ瞬間、「いや、そう言われてもこれは映画史上の定説で…」とノドまで出かかってから、「いや、そうじゃない、これはオレが本に勝手に書いたことであり、別に定説ではなかったはずだ」と思いかえしたのである。海外のネットで改めて検索調査したところ確かに設立は51年で、後述するように私の完敗である。その部分について久しぶりに拙著「レッドパージ・ハリウッド」を読んでみた(自分の本は意外と読まないものだ)。「あとがき」にコーニッグの「その後」を記してある。引用する。

レスター・コーニッグは『ローマの休日』を最後にハリウッドを追放された後、趣味で主宰していたジャズ・レーベルの経営に本腰を入れることにした。例えば、ディズニー・スタジオの古参アニメーターたちで結成されたニューオーリンズ・ジャズ・バンド「ファイアハウス・ファイヴ・プラス・ツー」の録音を最も多く残したのが、コーニッグである。アニメーション映画史に残る傑作『ピノキオ』のアニメーション監督として手腕を発揮したウォード・キンボールのユーモラスなトロンボーンを今でも楽しめるのは、コーニッグのおかげなのだ。

何故「グッド・タイム・ジャズ」“Good Time JAZZ”とちゃんと書かなかったのだろう、とか「ニューオリンズ・ジャズ」というより「ディキシーランド・ジャズ」とするべきだったかも知れない、とかほんの数年前に書いたばかりの文章でも色々不満が湧いてくる。しかし問題はそういうところではなくて、やはり明らかにこの矛盾に筆者は(私のことだが)気づいていない。引き続き引用。

だが、こうした回顧的なジャズだけがコーニッグの趣味だったわけではない。50年代前半、西海岸は朝鮮戦争による軍需景気のおかげで賑わいをみせていた。ニューヨークのようなスタイルの、酒も呑めて音楽も聴けるジャズクラブが求められるようになったのだが、ここにいるジャズメンの多くが、昼間はメジャースタジオで映画音楽に従事している白人の若者だった。(略)レスターはこうしたクラブ専属のバンドの一つに注目し、さっそく録音して発表することになるのだが、これがあっという間に大評判を取ってしまう。彼のコンテンポラリー・レーベルからリリースされた「サンデイ・ジャズ・ア・ラ・ライトハウス」は「初期ウェスト・コースト派」ジャズの代表作の一枚として、現在でもその価値を減じてはいない。こうしてコーニッグの売れっ子レコード・プロデューサーとしての第二の人生があっけなくスタートしてしまった。若手ジャズメンの、映画音楽の現場でつちかわれたアレンジされた軽い音楽への感性と、ジャズ本来の即興性がほどよくミックスされた新しいジャズは、天才エンジニア、ロイ・デュナンの録音と共に世界中でファンを獲得することになる。すなわち現在でも人気が高いシェリー・マンやアンドレ・プレヴィン(指揮者としての彼しか知らないクラシックファンは不幸だと思う)の優れたジャズ・アルバムを製作し、日本で(ドイツ語風の読みで)レスター・ケーニッヒの名前で知られているのが、このコーニッグなのである。(略)フリージャズの創始者オーネット・コールマンに録音のチャンスを与え、ジャズ界の第一線に送り込んだのがコーニッグであった。