映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第37回 アメリカ60年代インディペンデント映画とジャズ    その3 即興演出映画『アメリカの影』の登場
時代は変わる、と言いたいが…
フレディ・レッドが音楽を担当した『ザ・コネクション』“The Connection”(シャーリー・クラーク、60)とマル・ウォルドロンによる『クール・ワールド』“The Cool World”(同、63)を中心に「ジャズ映画」の世界を見て聴いてきた。この二本は映画史上に残る傑作にしては現物を見るのがなかなか難しい。そのオリジナル・サントラ盤やオリジナル・スコア盤(両者の違いは前回参照)が近年CDで比較的容易に入手できるようになったのと極端な不均衡状態で、実にけしからんと言わねばならない。今回取り上げるのは気の利いたビデオ屋さんなら必ず置いてある『アメリカの影』“Shadows”(60)である。音楽はチャールズ・ミンガス、監督はジョン・カサヴェテス。
もう二十年近く前になるか、幾つかカサヴェテス作品が連続して日本で公開された際に、これもリヴァイヴァル公開されている。初公開はATG系で1965年初頭だった。『ザ・コネクション』は結局日本では公開されなかったが、『クール・ワールド』の方は『アメリカの影』に続いて日本でも見られた模様。貴重な『クール・ワールド』のブートレグDVDは実は日本公開版から作られたものだ。それはともかく、私の世代の映画ファンはほとんどの場合リヴァイヴァル時に『アメリカの影』をまさに千載一遇のチャンスとばかりに見ている。同時に当時は空前のビデオ発売ブームであり、さっそくこれもリリースされたからその時の商品が現在でもレンタル店に置いてあるわけだ。一方『クール・ワールド』の方はそういう動きに恵まれず、現在でも幻のフィルムに近い扱い。
この時期のアメリカ・インディペンデント映画の中では例外的にビデオで簡単に見られる『アメリカの影』だが、同時代の比較すべきフィルムが一緒に見られないために映画史的位置づけが困難な気もする。別に、いい映画は見るだけで十分であり映画史がどうこうなどと知ったことではない、という意見もそりゃあるだろうが当方は一応映画評論家でもあり、そうなると映画史的知識の蓄積やその啓蒙ということもそれなりに行っていかねばならない。これは職業上の義務である以上に、そうした詮索によって様々な映画史的な謎が新たに湧きあがってくるということでもある。例えばこの『アメリカの影』に関して言うと、そのヴァージョン違いという大きな問題がある。

現在見られる唯一の版はオリジナル版に再撮影、再編集が施されたもので、時間も三十分くらい長くなっているのだが、短い方を熱烈に擁護した映画作家のジョナス・メカスが、再編集版を「ハリウッド式映画スタイルにおもねった」として激烈に批判しているのだ。この件については「メカスの映画日記 ニュー・アメリカン・シネマの起源1959―1971」(飯村昭子訳、フィルムアート社刊)所収の「二つの『アメリカの影』」を参照願いたい。短い版はもはや見られようがないから、それ自体はどうしようもないのだが、メカスは同時代に出演者が一人重複する形(役名も同じ)で自身も一本映画を作っている。『木々の大砲』“Guns of the Trees”(62)である。やはりこの二本の見られ方の不均衡は問題だろう。私自身このメカス作品は見たことがなく、何とかしなければと思っている。ジョナスの弟アドルファスが作った『ハレルヤの丘』“Hallelujah the Hills”(63)というのも広く知られる作品。フランスのシネマテーク所蔵の『東への道』“Way Down East”(D・W・グリフィス、20)から勝手にフィルム断片を「盗んで」自身の映画に組み込んだことで有名だ。これは三十年くらい前に新宿で見たような気もするのだが、もはや「忘却とは忘れ去る事なり」という感じになっているのが歯がゆい。こうした同時代事情に関しては後ほど改めて触れることにしよう。

さて映画史における『アメリカの影』を考えるのには監督自身の証言が欠かせない。そのためにうってつけの一冊として2000年にリリースされた「ジョン・カサヴェテスは語る」“John Cassavetes: In His Own Words”(レイ・カーニー編、発行ビターズ・エンド、発売幻冬舎)が挙げられる。帯をそのまま全文引用すると「映画で人生を愛し抜いた男の狂おしくも心やさしき全発言集、奇跡のワールド・プレミア出版!」
最後の部分に着目してもらいたいのだが、この発言集はこれがいわば実質オリジナル版なのである。本来の原書たるべき英語版はこの後で出版されているのだ。これは、この出版企画が『ハズバンズ』“Husbands”(70)、『ミニー&モスコウィッツ』“Minnie and Moskowitz”(71)、『愛の奇跡』“A Child Is Waiting”(63)連続ロードショーと連動していたからだった、と訳者代表遠山純生による「訳者後記」にある。「ビターズ・エンドの定井勇二氏の熱意と英断に敬意を表したい」とも。なお、他の訳者、下訳者は都筑はじめと細川晋。編集は遠山と郡淳一郎。いずれも懐かしい方々。
というのは私もこの本には「映画およびTV関係の固有名詞に関する訳注」作成者として参加したからだ。正確には「カサヴェテスが語った映画・映画人」というコーナーで、今読んでも見事な成果と言える。言うまでもないが原著にこんな便利なものはついていない。全部私が書いたものだ。もっとも当時、私の映画的知識はそもそもたかが知れているし、しかも大分偏りがある(今でもか)。こんなにまんべんなく「語れる」わけがない。種明かしをすれば(当時私はインターネットが使えなかったので)郡さんが関連ワードを片っ端から検索し、プリントアウトしてくれたものをふんだんに利用している。今回の原稿でもカサヴェテスの発言と合わせて使うつもりである。