ロンドンとリリアン・ギッシュ Text by 大塚真琴   第4回 リリアン・ギッシュⅠ
グリフィス
リリアン・ギッシュはD・W・グリフィスの映画でその名を知られるようになった。グリフィスにとってはなくてはならない女優であり、グリフィスと引き離して考えることが不可能であるほどに、グリフィス映画のリリアン・ギッシュは、映画が何かを語ったり、何かを宣伝したり、また何かを訴えるために存在するのではないという、映画そのものの目に見えない何か、ただ映像が示されるという装置に、時間や空間を越えて、何年の時を経てさえも消えて無くなることのない何かを示し続けた女優であった。
『國民の創生』(15)と『イントレランス』(16)という二つの大作(問題作)でグリフィスはアメリカで最も有名な監督としてその名を揺るぎのないものにした。人種差別と博愛を謳ったこれらの作品をグリフィスが撮らなかったとしても、グリフィスはメロドラマの巨匠として、ダグラス・サークやヴィンセント・ミネリと共にその名を残したことは疑いない。バイオグラフ時代の作品から、『國民の創生』以前の作品、そして『イントレランス』以降の作品を考えると、これら二つの作品はグリフィスの映画の中では最もその映像や技法の形式を意識してつくられた作品という感が強い。言い換えれば、この二つの作品はグリフィスの映画の中では最も理論的な解釈を可能にするものでもある。エイゼンシュテインをはじめとする映画理論の提唱者たちがグリフィスを賛美した理由の中には、グリフィスを映画理論の実践者として考えたということもあるだろう。しかし、グリフィスは理論的な人物では全くなかったのだし、エイゼンシュテインのように、グリフィスの映画が年を追うごとに理論的になって行ったかと言えば、そのようなことは全くなかったと言える。むしろ、グリフィス映画のよさは、グリフィス本人も気付いていないような部分にあったと言えるのではないだろうか。

グリフィスは1875年1月22日、ケンタッキー州に生まれた。父親のジェイコブは南北戦争の折南軍で活躍した人物だった。グリフィスの南部への思いはこの父親によるところが大きい。後にリリアン・ギッシュは『國民の創生』で北部の娘役に選ばれたのはこの役がそれほど重要な役ではなかったからで、グリフィスは“南部の人”だから、と雑誌のインタビューで述べている。 1908年から1913年にかけ、バイオグラフ社で監督した夥しい映画には、メロドラマ、追っかけ、コメディ、恋愛物、殺人、悲劇、時代物などあらゆる題材の物語が含まれており、その中には南北戦争を扱った作品もみられた。しかし、グリフィスの映画が持っていた良さは、それらの物語とは全く関係がないところで機能していたように思う。映画が物を語るために生み出されたのではないという原点に帰ってみると、グリフィスの映画は何も語ることがなくても、そこに映されているものからただならぬ気配のようなものを感じさせる。その“何か”がグリフィスの映画を他のどんな映画よりも際立たせているのである。グリフィス映画を形成して行く過程で、ビリー・ビッツァーというカメラマンを得たことは、グリフィスにとってこの上ない幸運といえるだろう。グリフィスの監督としての手腕と、ビッツァーの撮影と、良い俳優、これらがうまく組み合わさった時、グリフィスの映画は本当に素晴らしくなった。その、最も良い時期に遭遇したのがリリアン・ギッシュだった。

リリアン・ダイアナ・ギッシュは1893年10月14日、オハイオ州スプリングフィールドに生まれた。妹のドロシー・エリザベス・ギッシュは1898年3月11日、デイトンに生まれた。幼い頃に父親が家を出てしまったため、二人は母親のメアリ・ギッシュと三人で、それぞれ巡業一座で芝居をしながら生計を立てていた。幼い頃の回想では、なかなか三人揃って生活することができない辛さや、ドロシーの惚れっぽい性格のことや、舞台上でのアクシデントのことなどが語られている。リリアンは1904年頃から断続的にではあるが学校にも行っていた。舞台に出ていたのは1905、6年頃までで、その後は母親のキャンディストアを手伝ったり、母親が別の仕事を始めてからは叔父と叔母の元から学校に通い、診療所で秘書の仕事をしたりもしていたようだ。この頃、リリアンはヴァージニア・ネル・ベッカーという写真家の娘と知り合いになり、二人は生涯を通じての親友同士となった。リリアンが1909年頃からネルに宛てて出し始めた手紙には、女優という仕事から離れたことへの後悔は全く見当たらず、それよりも高校を卒業し大学へ行きたいとの記述がみられるのである。リリアンとドロシーは1912年の6月に舞台の仕事を探しにニューヨークへ行くのであるが、それは舞台の仕事がしたいからというよりも仕方なくといったほうが本当だった。リリアンも当時の女性の殆どがそう思っていたように、行く行くは結婚して安定した生活を送りたいと考えていたが、父親がいない家庭では母親一人だけを働かせているわけにも行かず、姉妹は何かしら仕事をしなければならなかった。