映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第62回 非ジャズ時代の三保敬太郎
三保敬とジャズイレヴン「こけざる組曲」

三保敬太郎と彼のグループ「サウンド・ポエジー“サチオ”」

「こけざる」の謎と『鐘』の音
さて、このように歌謡曲の世界で注目すべき成果を上げた70年代初頭の三保だが、それではジャズの方では何も聴くものがないのかというとそういうわけでもない。「三保敬とジャズイレヴン」名義で71年に発表された「こけざる組曲」(インディペンデントレーベル)がある。近年CD化されて評価が定着したが、それまではほぼ忘れられていたと言っていいアルバム。「音楽の基礎研究」という硬いタイトルを冠したシリーズの一枚で、「サウンド・ポエジー“サチオ”」のイージー・リスニング・ボサと好対照のアヴァンギャルドなジャズを聴かせてくれる。
ジャケットにはきちんと「三保敬太郎、作編曲」と記載されているからそのとおりなのだろうが、よく分からないのがここでキーボード類を担当するのは三保じゃなく佐藤允彦だという点だ。素直にクレジットを読めば、佐藤が三保のディレクションで楽器だけ演奏していることになるがどこか釈然としない。つまり三保の姿がそこから見えてこない、聴こえてこない感じがするのだ。内容は面白い。ピアノと書かずにキーボードとしたのは、いかにもこの時代の佐藤らしい濁った音色のエレキ・サウンドだからで、その他にも村岡実の尺八を電気的にひずませたりして用いている。最初期ウェザー・リポートの第1作「ウェザー・リポート」“Weather Report”(COLUMBIA)を思わせる、という評をネットで見たがなるほど。そんな感じもする。
ただしこれが面白いのは、同時期の「サウンド・ポエジー“サチオ”」が同時代ポップスの最先端感覚を意図的に取り込んだというのとは違って、「ウェザリポ初期」っぽくなってしまったのはたまたまじゃないか、と思わせるようなところ。電気楽器で美しいメロディを強調する典型的なクロスオーヴァー、フュージョン系のジャズではなくて、全く異なるグループ・インプロヴァイゼーション・エクスプレッション(集団即興演奏)の方向性を日米別系統の「マイルス・デイヴィス以降」ジャズマンが別な回路で実践しているかのような。つまりそれぞれに独創的なのだ。他に比較できる音源がないので、何故突然こういうアルバムが現れることになったのか分からないが、いずれ佐藤允彦の映画音楽を記述する時にこの件は改めて考えることにしたい。


時代は少しさかのぼるが1966年、自主映画『鐘』(監督:青島幸男)の音楽を三保が担当している。聴けば分かるようにジャズではない。冒頭の「11PMのテーマ」的なスキャットが印象的で、全体にメロディがユーモラスかつ饒舌な気がするのは、台詞があまりない企画だから音楽でそれを補う意図があったためだろう。一方テーマ曲は適度にキャッチーでメランコリックな雰囲気をたたえている。「マルセリーノの歌」とかの路線だ。そこはかとなくフォア・ダイムズの「夕日が沈む」(作曲・横内章次)に似ている楽曲「鐘をあげる男達」もあるが類似は単なる偶然かもしれない。三保がハモンド・オルガンを使うと「神聖な」というのを通り越して不気味なムードを醸成するという説を実証する「夕陽と鐘楼」という曲も。一般に映画音楽は、印象的なメロディばかり連発するとかえって安っぽくなってしまうものだが、これに関しては疑似サイレント映画的な手法にはマッチしていたようだ。そして「事件記者」時代からそうなのだが三保の映画音楽、またボサ歌謡にしてもフルートの音色がとても効いている。誰が演奏しているかは分からないことがほとんどではあるが、今後、三保の音楽を聴かれる機会があればそのあたりにも注目、注聴していただきたい。(続く)