海外版DVDを見てみた 第24回 エドガー・G・ウルマー Text by 吉田広明
『恐怖の回り道』
さてウルマーのPRC時代のもっとも重要な作品が本作であることは間違いない。恋人が自分の運を試しにハリウッドへ行ってしまった男が、彼女の不在に耐え兼ね、自分もヒッチハイクでハリウッドへ向かう。しかし信じがたい悪運の数々が彼を襲う。

『恐怖の回り道』主人公の目に光が当たる


スクリーン・プロセス『恐怖の回り道』


『裸の夜明け』の三角関係

『奇妙な女』ポスター

『野望の果て』宣伝資料


『裸の夜明け』のアーサー・ケネディ

『マタ・ハリ』ジャンヌ・モロー
物語は、どことも知れぬ深夜のダイナーに入ってきた男が、別の或る客がジュークボックスで掛けた曲にいきり立ち、何故その曲に反応するのか、その訳を心内語で語り始めるところから始まるのだが、その際彼の周囲は暗転し、目の周囲だけにスポットライトが当たる。カメラが若干下方にティルトすると、画面は真っ白いコーヒーカップによって覆われる。黒沢監督もトークの際指摘しておられたが、これは巨大なコーヒーカップを美術で作って置いたものである。さもなければ人の顔からの一連のカメラの動きの中でカップがこのような大きさで映る筈がない(ヒッチコックの『白い恐怖』45ラストの、巨大な拳銃を思い起こす人もあるだろう)。監督の言うように、これは何か異様なことが始まるのだ、ということの予告であるが、画面そのものがここで歪んでいるようでもある。この歪みは、映画の中の特異点として、既述したカメラの傾きや、夢、鏡などの視覚的イメージと同列にあるもののように筆者には思える。映画はそこで、日常とは異なる次元に入り込むのだが、しかしそれはあくまで日常と別にあるのではなく地続きに存在する。というか日常そのものが、異次元の、夢(魔)の論理によって動かされているのだ(『奇妙な幻影』以上にそのことを明らかに示した映画はない)。それは、画面に生じる一瞬のそのモヤっとした歪み、違和感によってのみ感知できるようなものだ。

さて、この映画ではスクリーン・プロセスが多用されている。これは当然車を実際の路上で走らせて撮る時の労力、費用を考えてのものであることは当然であるにしても、ウルマーの場合どうもそれだけではないような印象を受ける。通常スクリーン・プロセスによる車内場面は、登場人物が移動していることを伝え、加えて車内で交わされる対話を通して物語を進めるなり、新たな情報を付加するために使われるものであって、必ずしも物語にとって不可欠というほど重要なものではない。移動しているという設定である割に、実際に移動している感がないというこの不自然さもあり、通例はごく短時間使用されるに過ぎない。ところがこのスクリーン・プロセスが、『恐怖の回り道』にあっては度を越えて多用されている。先述したように、ウルマーにあっては日常がそのまま夢魔の論理によって支配されていることが、画面の歪み(一見普通に見えるが、しかしよく見れば違和を感じるイメージ)によって示される。恐らく本作のスクリーン・プロセスもまたそのような導入的な役割を果たしているのだ。日常と地続きにあるが、普段人はそれに気づかない、しかしふとした瞬間にそこに入り込んでしまうような異空間。そして異空間と化した車内空間では、信じがたいような(ご都合主義的な)出来事が次々と起こる。

このスクリーン・プロセスという技法について、黒沢清監督はある所でこう述べている。「古い映画が運命的な感じがしたのは、スクリーン・プロセスだから、なんかリアルじゃないから、昔作った人は狙ってもいなかったかもしれないけど、一種のあのスクリーン・プロセスの、リアルとも違うあの抽象的な空間が、これって運命かもしれないっていう効果をどうも上げてたらしい」(boid.net上、『回路』を巡る対話での発言)。黒沢監督は車の移動場面で必ずスクリーン・プロセスを用い、窓の外の景色が一切変化しない、あるいは車窓に風景が映るにしても、実際にはそう映るだろう景色とはあえてズラした映像を投影するなどして、車の移動場面を異空間に仕立て上げる。筆者自身は、上記発言にしても、監督がよく用いられるスクリーン・プロセス場面にしても、これは『恐怖の回り道』を見てのことでは、と思い込んでいたのだが、実際はそうではなかったようなので驚いた。何かしらハリウッド映画のスクリーン・プロセス場面を目にしてはいて、そこにヒントを得て自分でこのような効果を「発明」してしまったのだろう。

黒沢監督はスクリーン・プロセスが生む効果について「運命」という言葉を使っているが、これまで筆者が使ってきた言葉で言えば夢(魔)の論理と同じものである。そうなると嫌だな、と思っていたことがまさに起こる(主人公がヒッチハイクして乗せてもらった男は、前に乗せた女に手ひどく引っかかれているが、その女こそ、彼がヒッチハイクで乗せる女であり、その女は主人公が車の持ち主をどうかしたことをたちまち見抜く)。この作品に限らず、ウルマー的な主人公たちは、自分の意思以外の何者かに動かされているように見える。ウルマーがユダヤ人であることを受けて(ただしウルマー自身は高校に入るまで自分がユダヤ人だとは知らなかったと言っている)、旧約的な世界観を見る批評家もいる。実際ウルマー的な人物は、神のような存在によっていいように操られているデクノボーのようですらある。この点興味深い評を引いておこう。

それはフランスのヌーヴェル・ヴァーグの批評家フランソワ・トリュフォーによる評言である。1956年、ウルマーの西部劇『裸の夜明け』The Naked Dawn(55)のフランスでの公開を受け、カイエ・デュ・シネマ誌は4月号(57号)で、リュック・ムレの紹介文と共にウルマーのフィルモグラフィを載せた。全部で3ページほどのものではあるが、ウルマー再評価としては最も早いもの。この号には見当たらないのだが(別の雑誌かもしれないが、後述批評集にも初出が載っていない)、トリュフォーが『裸の夜明け』について熱烈な賛を書いている(彼の批評集『わが人生わが映画』所収、ただし邦訳は抄訳なので入っていない)。そこでトリュフォーは、ウルマーを「屈託のないユーモア、善人さ、登場人物への優しさは、ジャン・ルノワールとマックス・オフュルスを思わせる」と評しているのだが、これを我々はどう受け止めていいものか。あえて言うが、トリュフォーは明らかに間違っている。ただし、トリュフォーの名誉のために付け加えれば、この時点でトリュフォーは『恐怖の回り道』はおろか、『黒猫』も『青髭』も『奇妙な幻影』も見てはいない。この評で言及されているのは、『奇妙な女』Strange Woman(46、「ジュリアン・グリーンの混じったモーリアック」)、『バグダッドの女たち』Babes in Bagdad(52、「ヴォルテール的なマリヴォー」)、『野望の果て』Ruthless(48、「バルザック的」)のみ。評言からも知られるように、フランスの小説家にウルマー作品をなぞらえており、では『裸の夜明け』は何になぞらえられているかと言えば、アンリ=ピエール・ロシェの『ジュールとジム』なのだ。

周知の通り、トリュフォーはこの作品を『突然炎のごとく』として後に映画化することになる。彼はこの評の中で、『裸の夜明け』を見て、『ジュールとジム』が映画化しうることを確信した、と述べている。トリュフォーはこの時処女短編となる『ある訪問』(54)を撮ってはいたものの、出世作となる短編『あこがれ』(58)すら撮ってはいない。しかし既にこの時点でトリュフォーは映画監督となることを決めていたのだろうし、『ジュールとジム』の映画化を夢想していた。それに引きつけての『裸の夜明け』評であるから、言ってみれば贔屓の引き倒しのようなところもあったとは思う。実際『裸の夜明け』は、メキシコの田舎に住む貧しい夫婦のところに迷い込んできた流れ者の犯罪者が夫婦関係に波風を立てる、というメロドラマではあるが、『ジュールとジム』のように三者が平等な関係では全くない。ただ、流れ者を演じたアーサー・ケネディの悪者とは言えどこか憎めないキャラクターは、ウルマーの中では例外的に人間的なものかもしれない。筆者は何となく日本の股旅物を連想した。『裸の夜明け』についてはユーチューブに上がっていたりするので容易に見られる(2013年10月末現在)。トリュフォーの評は筆者にはむしろ、ウルマーの世界が、人間がデクノボーのように操られる非人間的、あるいは宿命的なものであることを再認させてくれたという意味で貴重なものではあった。

ついでにもう一点、トリュフォーとウルマーの接点があったことを記しておく。トリュフォーの映画製作会社フィルム・ド・キャロッスはジャンヌ・モロー主演、ジャン=ルイ・リシャール監督で『マタ・ハリ』(64)を製作するが、この企画はもともとウルマーのものであった。ウルマーはそのシナリオ第一稿を書いており、権利を侵害されたとフィルム・ド・キャロッスを訴え、勝訴する。トリュフォーとしては、作品としては傑作であるが興業的には失敗した『柔らかい肌』(64)の財政的危機を乗り越えるべく製作した作品(確かにヒットした)ではあったが、この訴訟騒ぎで躓く。以後『華氏451』(66)、『黒衣の花嫁』(68)とトリュフォーはスランプに陥ってゆく。

最後に『恐怖の回り道』についてトリヴィアを。この作品を撮ったカメラマンはベンジャミン・H・クラインという。筆者にはこのH・クラインと言う名前には何となく引っかかるものがあった。ベンジャミンを、リチャードに置き換えてみるとどうなるか。リチャード・H・クライン。これは周知のごとくリチャード・フライシャーの『絞殺魔』(68)のカメラマンである。もしかしたらと思って調べてみたら、実際この二人は親子関係なのだった。これには驚いた。父ベンジャミンはずっと低予算映画畑で暮らした人のようで、ウルマーの二、三作以外、筆者も見たことのないような作品ばかり撮っている。ウルマーについたのも偶々のことではあったろう。その息子だからと言って、リチャードとベンジャミンのカメラに共通の特徴があるとも言い難い(あるかもしれないが)。黒沢監督は言わずと知れたフライシャー信奉者であり、筆者もフライシャーについて書くことによって批評家として独り立ちした者である。その二者が、ウルマーの『恐怖の回り道』上映直後のトークを務めることになることに些かの因縁めいたものを感じたのであった。

トリヴィアをもう一点。本作の原作小説にジョン・ガーフィールドが興味を示し、所属するワーナーに映画化権を買わせようとしたという。既にPRCが所得していたのでそれは叶わなかったが、ガーフィールドは恋人の歌手にアン・シェリダンを、ヒッチハイカーの女にアイダ・ルピノを考えていた。この布陣での映画化も見て見たかった気はするが、ウルマーほどの暴力性に達し得ていたかどうか。