アンソニー・マン その初期作品紹介 第4回
「1947年は私にとって重要だ。その年、私は批評的にも、商業的にも成功を印した」(サン・セバスチャン映画祭カタログより。もとはジャン=クロード・ミシアンによるカイエ誌所載インタビュー)。47年マンは三作のノワールを発表するが、そこにはようやく本人が脚色にも関わった初めての作品『Desperate(死に物狂い)』と、真のデビュー作と本人が言う傑作『T-Men(Tメン)』が含まれている。この年をもって、アンソニー・マンは真にアンソニー・マンとなるのである。

『Desperate』はRKO作品。マン自身とドロシー・アトラス(映画に携わったのはこの作品限りらしい)が二週間でシナリオ(原案?) を書いた。さらにフィル・カールソン『アリバイなき男』(52)のハリー・エセックスが脚本にクレジットされている。12日間、1000ドルで撮影されたという。

結婚4ヶ月の記念日を迎えるスティーヴ(スティーヴ・ブロディ)とアン(オードリー・リング)。その日アンは、子供が生まれることをスティーヴに告げようとしていた。同じ日運送屋のスティーヴは高級の仕事を依頼される。しかし現場の倉庫に行って見ると、運ぶのは盗品らしいことに気づき、ボスのウォルト(レイモンド・バー)に自分は帰る、というが拳銃を突きつけられてしまう。ガードマンにライトで事態を知らせると、たちまち撃ちあいになり、逃げ遅れたウォルトの弟だけが捕まってしまう。

ウォルトはスティーヴに自分が首領だと自首させようとするが拒否、しかし妻の顔がどうなってもいいのか、と脅され、承知する。しかし警察に連れられる途中で逃げ出したスティーヴはアンと共に、アンの叔母の農場へ逃亡する。ウォルトはスティーヴのトラックのナンバーを通報、スティーヴは強盗犯として指名手配される。一方スティーヴのアパートを探り、アンの叔母の手紙を見つけ出した一味は探偵を農場に送り、探らせる。出頭して無罪を主張する決意を固めたスティーヴは地元警察に行くが、警部フェラーリ(ジェイソン・ロバーズ・シニア)は無実だというなら逮捕はしない、と取り合わない。

一方ウォルトのもとに報告に行った探偵は、警察に後をつけられており、ギャングのアジトで銃撃戦となり、ウォルトは撃たれて大怪我をする。それが癒えた数ヵ月後、ウォルトが農場にやってくるが、叔母夫婦のおかげですんでのところで逃げおおせる。しかしバス車中でアンは陣痛を起こし、病院で娘を出産。新たな土地で仕事を見つけたスティーヴらをウォルトが探し当てる。その日はまさにウォルトの弟が死刑になる日だった。

街で狙撃されたスティーヴは妻らをバスで逃がし、部屋に帰ったところをウォルトらに待ち伏せされる。ウォルトは、深夜12時に死刑になる弟と同じ時間にお前を殺してやる、とその時間を待つ。何かと邪魔の入るアパートを出ようとしたところを待ち伏せたフェラーリ警部らが襲う。建物の上階の方へ逃げたウォルトをスティーヴが追う。階段での銃撃戦で、ウォルトは撃たれ、まさに12時に死ぬ。

電話口に出たギャングの顔に下から当てたライトが不気味な影を生み出す辺りからノワール・ルックが全開、裸電球一個、ローキー、極端な仰角で捉えられるギャングのアジトが素晴らしい。スティーヴを痛めつける場面では裸電球が激しく揺れ、スティーヴや立って見ているウォルトらを時折照らし出すだけなのがかえって暴力の凄まじさを感じさせる。カメラはニコラス・レイ『夜の人々』(48)を撮ることになる名手ジョージ・E・ディスカント。

また筒井武文も指摘するように(『リテレール別冊3、映画の魅惑』メタローグ93)、ラストの、仰角と俯瞰を組み合わせた見事な階段の撃ち合いは、崖や山頂で展開されるマンの西部劇を予告する。さらに、弟を溺愛する余り、弟と同じ時間に主人公を殺そうとするウォルトの、狂気すれすれの歪んだ愛情もいかにもマン的である。物語とルックが完全に調和し、そのどちらにおいてもマンらしさが発揮された最初の作品と言っていいだろう。巻き込まれ型の物語だが、新婚の妻を連れて、と言う辺り新味がある。冒頭、二人は新婚四ヶ月で、妻は子供が生まれることを告げようとするまさにその日に事件が起こり、叔母の家を出たその日に陣痛を起こす、という具合に、赤ちゃんの存在が物語のリズムを作る。是非とも日本でのスクリーン上映を望みたい作品の一つ。

47年にマンが撮ったもう一本の作品がPRC製作、イーグル・ライオン配給の『偽証Railroaded!』(TV放映のみ)。脚本のジョン・H・ヒギンズはマンのノワール怒涛の三部作『T-men(Tメン)』、『ひどい仕打ち』、『夜歩く男』(マンが途中まで監督、名義はアルフレッド・ワーカー)の脚本、さらに49年の『Border incident(国境事件)』の原作、脚本を担当することになる。

裏でノミ行為を行う美容院に、閉店後二人組の強盗が入る。美容院の従業員クララ(ジェーン・ランドルフ)が手引きしたのだ。たまたま警官が通りかかり、撃ち合いになって、警官は死ぬ。強盗の一人も撃たれる。彼らは覆面のスカーフをワザと落とし、洗濯屋の車で逃げる。洗濯屋の配送員スティーヴ(エド・ケリー)は無実を主張するものの、スカーフが彼のものである上、クララのニセの証言、捕まった強盗の一人の偽証により逮捕される。スティーヴの姉ロージーは弟の無実を信じ、クララを問いただす。クララの恋人で主犯のデューク(ジョン・アイアランド)は、プレッシャーの余り酒浸りのクララを隠れ家に隠し、一方でロージーに近づく。

一人スティーヴは無実ではないかと感づき始めた刑事ミッキー(ヒュー・ボーモント)はクララの身辺を洗い、デュークの存在をかぎつける。身辺の不安を感じたデュークはクララと違う証言をした美容院の従業員を消す。クララは自分も消されるのではと、ミッキーから渡されていた連絡先に電話するが、ミッキーと会う前にデュークに殺される。警官殺しとクララ殺しの銃弾が同じものであることで真犯人はデュークと判明。一方デュークはクララが連絡した先がロージーの自宅であることを知り、ロージーを殺そうとするが…

巻き込まれ型の物語構造は前作『Desperate』と同工ながら、こちらはその本人が主人公ではない分、いささかサスペンスは薄い感があるが、その分ジョン・アイアランドの人物造形が光る。自分が陥れた相手の姉に言い寄るサディスト、自分のボスを平気で裏切り、殺して金を奪う人でなし(その場面はディープ・フォーカスを用い、デュークが戸口から入り、ボスを撃ち殺すまでワンショット)。なおかつ銃弾に香水の匂いを沁み込ませているサイコパス!(サン・セバスチャン映画祭カタログにはそう書いてあるが。筆者が見た限りポケットに香水を沁み込ませたハンカチと拳銃を入れているのでその移り香のような気がする)。また、強盗の片割れが、瀕死の床で偽証をする場面は、偽証そのものに言葉を用いず映像で処理する素晴らしい演出。何故か包帯で顔の下半分を覆われ、話が出来ないその男は、警官にイエスなら右手を動かせと言われ、こいつがパートナーか、との問いに、スティーヴを見つめながら、ゆっくりと右手を握るのだ。

DVDが米、Kino Videoより出ている。

本作は独立系製作者の組織PRC(プロデューサーズ・リリーシング・カンパニー)製作で、製作会社の指図を比較的受けることなく撮影することが出来た。PRCの社長ロバート・ヤングはイギリスの事業家アーサー・ランクと共に46年配給会社イーグル・ライオン社を設立。そこで本作はPRC制作、イーグル・ライオン配給となるが、イーグル・ライオンが独立プロに出資し、製作を任せる体制に入ると、PRCの存在意義は薄まり、49年のイーグル・ライオン国際フィルムの誕生により自然消滅した。マンの次回作『T-Men(Tメン)』はエドワード・スモール・プロダクション、リライアンス・ピクチャー製作、イーグル・ライオン配給となる。

いずれにせよマンが思う存分やりたいようにやることが出来るようになり、傑作を連発するに到ったのは独立プロの製作下であったわけだが、それも実はハリウッド映画の製作体制の変化と相即している。翌48年、いわゆるパラマウント訴訟で、アメリカ連邦最高裁判所は独禁法に基づく製作=配給の分離を命じる判決を出し、アメリカメジャーの体制は、全作自社製作=配給のプログラム・ピクチャー時代から、一本一本の企画主導の製作、あるいは製作外注時代へと大きな変動を迎えることになるのである。マンの個性は、製作=配給一体のプログラム・ピクチャーから離れることで発揮されるに到ったのであり、確かにマンはこれまで述べてきたように40年代を通じて初期作品を撮り、中には優れた作品もあったものの、マンが真にマンとなったのはやはり50年代、しかもそれは単に年代的にそうであった以上に、ハリウッドの体制の変化と密接に関係している。その意味で、マンは典型的な50年代作家であったと言えるのである。

以上、マンの初期作品を紹介してきた。彼が生涯に撮った作品はおよそ40本、うち10本がこの時期に撮られている。マンの本領は確かに以降のノワール期、ウェスタン / 史劇期にあるとは言え、この初期作品にも見るべきものは多い。繰り返しになるが、現在日本ではノワール期の傑作すら容易に見られない。それらが観られる環境が出来ることを願って止まない。