ロンドンとリリアン・ギッシュ Text by 大塚真琴   第5回 リリアン・ギッシュⅡ
女優としての成長期
リリアン・ギッシュにとって1914年は『國民の創生』への出演はあったものの、グリフィスの映画には他に『ホーム・スウィート・ホーム』への出演があった程度で、それ以外は他の監督による映画への出演となった。『國民の創生』のエルシー・ストーンマン役は、リリアンにとってはそれまでにない大きな役であり、リリアンの映画女優としての地位を確実なものにした。しかし、それはリリアンの愛らしい演技はみせたが、より彼女の演技を発揮させるというものではなかったように思う。メイ・マーシュがグリフィス好みの幼い妹役で、かなり重要な役割を演じていたのに対して、リリアンはどちらかというとエルシー・ストーンマンという役の中におさまってしまったように感じられるのである。この頃のグリフィスの映画は大抵ブランチ・スウィートとメイ・マーシュが主役を演じていて、グリフィスにとってこの二人は大変なお気に入りであったから、自然とリリアンの活躍する場は限られた。だから、ブランチ・スウィートがラスキー・カンパニに契約を持ち掛けられ、1916年にメイ・マーシュがサミュエル・ゴールドウィンに引き抜かれて、初めてリリアン・ギッシュは一人で前面に出てくることができたのである。リリアンは1915年から1916年にかけて、グリフィスの映画には『イントレランス』への出演があったのみで、さらなる代表作が作られるのは1917年の『世界の心』以降である。
ドロシー・ギッシュはこの頃、W・C・キャバン、ジェームズ・カークウッド、ドナルド・クリスプなどの監督による映画に多く出演していた。後にコメディエンヌとしてメイベル・ノーマンドやコンスタンス・タルマッジと並ぶほどの人気を博したドロシーにとって、アニタ・ルース脚本による『The Widow’s Kids』(未亡人の子供たち 13)が、コメディを演じた最も初期の映画のようである。1914年にはドロシーのシリーズ物が作られた。この年、リリアンが出演した映画は14本であったが、ドロシーは30本近い映画に出演している。ドロシーにとっては映画の中での自分の居場所を見出した年といえるだろう。
姉妹はこの年、二本の映画で共演した。『ホーム・スウィート・ホーム』と『The Sisters』(姉妹)である。『ホーム・スウィート・ホーム』は、リリアンがヘンリー・B・ウォルソール演じるジョン・ハワード・ペインの恋人を演じ、ドロシーはリリアンの妹役で、映画の冒頭に少しだけ出演した。この二人は一緒にいると、それだけで画面全体に花が咲くようである。恋人を待ちながら死んでしまうという役はリリアンに合ってはいたが、あまりその存在が活かされていなかったように思う。リリアンはラストで天使となり、地獄に落ちた恋人に手を差し伸べ共に昇天して行く。

『The Sisters』は、W・C・キャバンが監督した。リリアンとドロシーが姉妹を演じているだけでなくストーリーが非常に面白いのである。二人がよく演じていたタイプとは反対に、この映画ではリリアンが行動的な姉を演じ、ドロシーが受身な妹を演じた。町に若い弁護士がやってくる。妹は弁護士が姉に好意を寄せているらしいのを見て嫉妬する。そして、鏡で自分の顔を姉の顔と見比べ、姉が眠っているすきに鋏で姉の髪の毛を切ろうとするのである。それは一瞬殺意すら抱かせる。やがて姉は弁護士と、妹は素朴な田舎の青年と結婚し、二人とも子供を産む。しかし、姉の子供は死産であった。医者は他の赤ん坊を代わりに連れてこなければ母親が死んでしまうだろうと言う。ドロシーは自分の子供を代わりに連れて行くことを承知する。リリアンは回復した後真実を知り、赤ん坊をドロシーに返すのである。

映画に出演するようになったリリアンは、自分でカメラに映る時にどのアングルから撮られるのが一番良いかを研究するようになった。また、黙っている時には小さい口が、笑うと両目に対して大きくなり過ぎてしまうことに気付き、初期の映画では極力笑わないようにしていた。これはリリアンの抑えた演技を形成して行く上で大切な要素となった。役柄に合った衣装を選ぶことも重要であり、見た目を良くするために自分の洋服を衣装として着ることも多かった。