ロンドンとリリアン・ギッシュ Text by 大塚真琴   第2回 ロンドンⅡ
リリアン・ギッシュ
映画の誕生
フレッドの本屋にはほぼ毎日顔を出していた。紅茶やホットチョコレート、サンドウィッチやクッキーを食べながら、話したり、話さなかったりした。ヴィンセント・ミネリがここへ来たときは、ある本と台本すべてにFor Fredとサインをしてくれたのだそうだ。ミネリはまっ黄色のジャケットを着てやってきたそうで、それでも威厳を失っていなかったとフレッドは嬉しそうに話してくれた。ウェンディ・ヒラーが主演したマイケル・パウエルの『渦巻』(I Know Where I’m Going! 45)の舞台になった島(スコットランドの最北端の一つ)にホテルがあって、シネマ・ブックショップからIKWIGのポスターや写真を買ってホテルに飾ってあるそうだ。フレッドはマイケル・パウエルの映画の台本もいくつか持っていたけれど、それは早いうちになくなってしまったと言っていた。フレッドは若い頃ハリウッドの本屋に行くのが夢で2週間そこで過ごしたことがある。それ以来お互いに本のやりとりをしているそうで、相手の中の一人はもう80歳くらいになると言っていた。フレッドは私を見て、若い頃の自分を思い出したのだろう。ケヴィンは緊張しまくっていた私を見て、初めてベッシー・ラヴに会った時のことか或いは子供の頃ロンドンに来たアベル・ガンスに会いに行った時のことを思い出していたかもしれない。きっとものすごく緊張しただろう。

自分の方向音痴やストライキや天気のことでかなり落ち込んでいた私に、ケヴィンはまた映画を見せてあげようと電話をくれて、今度はケヴィンの家に行くことになった。この時は駅で待ち合わせたので、私は約束の時間に地下鉄できちんと行くことができた。地下鉄の長いエスカレーターを上がると、改札を出たところでケヴィンが本を読みながら待っていてくれた。この時私が驚いたのはケヴィンのエスコートの仕方であった。道を歩いていて水たまりや段差があるたびに気を付けてと声をかけてくれるのである。車がこないか、何か不便なことがないか、ものすごく気にしてくれている気がした。ケヴィンはイギリス人だからこんなに紳士なのだろうかと思った。レディファーストが徹底しているというのだろうか。ロンドンにいる間、いろんな男性を見て、皆ドアがあれば必ずと言っていいほど先にドアを開けてどうぞと言ってくれた。ケヴィンはもっとそれがこまやかな感じがした。ケヴィンの話す英語もイギリス人の美しい英語なのだと私は思った。ケヴィンが他の人と話していると、英語が流暢すぎて私はついていくのが一苦労だったけれど、私にはわかりやすく話してくれているのがわかった。
ケヴィンの家は天井が高くてとても広かった。壁に絵が飾られていて、華やかな絨毯が敷かれた廊下にはいくつも椅子が置いてあり、柄の美しいクッションが置かれていた。そうして本と写真がたくさんある部屋に通された。そこにはいくつもの映写機が並べられていた。スクリーンがセットされていて、私が大きな椅子に腰かけると、ケヴィンはカーテンを引いて部屋を暗くしフィルムを映写機にかけて見せてくれた。最初に見せてくれたのはエジスン社の社員フレッド・オットを撮った『くしゃみの記録』だった。それから『列車の到着』と『工場の出口』。あぁケヴィンは映画の誕生を私に教えようとしてくれているんだなとわかった。次にエジスン社で何百本も作られていたという手彩色の映画ということでダンスのフィルムを見せてくれた。手彩色が映画の中では初めてのカラーなのだった。それから、ポーターの『大列車強盗』(03)とグリフィスの『女の叫び』(The Lonedale Operator 11)と『Mothering Heart』(13)を見せてくれた。
『Mothering Heart』は初めて観るリリアン・ギッシュの映画だった。初めて観る上に素晴らしく、リリアン・ギッシュの表情やしぐさのひとつひとつが心に響くような映画だった。途中でリリアン・ギッシュがバラ園にやってくる場面で、私はこれが4年前にフランスで買ったグリフィスの本の中で写真を見て以来、観たい観たいと願い続けていた映画であることを思い出した。この映画すごく観たかったんですとケヴィンに言った。ケヴィンは他にもそういう映画があったら教えてくれたらいいよと言って、じゃあ今度はグリフィスの真似をしている映画を観ようと言うとロイス・ウェーバーという女の人が監督した『Suspense』(13)という映画を見せてくれた。家に赤ん坊と二人で取り残された女の人が強盗に襲われそうになるというもの。それを救出しに限りない原っぱの中の一本道を自動車が走っていくのである。さすがにグリフィスに比べるとセンスが落ちる。ケヴィンはUnsophisticatedと言っていた。後でロイス・ウェーバーは当時有名な女性映画監督で、『Hypocrites』(15)のような人間の心の奥を表現した映画やアンナ・パヴロワ主演の『ポルチシの啞娘』(16)を監督したりもしていることを知った。
途中でケヴィンの奥さんがお茶とイチゴのケーキを持ってきてくれた。