コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 Jフィルム・ノワール覚書⑭ 東映ノワール 『暴力団』と『恐喝』   Text by 木全公彦
『汚れた顔の天使』
貧しいスラム街で育った少年のロッキー・サリバンとジェリー・コノリーは、貨車に積んであった万年筆を奪って逃げるが見つかってしまう。逃げ遅れたロッキーは少年鑑別所送りになる。これが二人の人生の大きな分岐点となった。時が流れ、成長したロッキー(ジェイムズ・キャグニー)は悪名高いギャングとなり、ジェリー(パット・オブライエン)は聖職者になっていた。

ロッキーは釈放されて地元へ戻ってくる。今では神父としてスラムの不良少年を指導しているジェリーは、彼に下宿の世話をしてくれた。そこで幼友達のローリー(アン・シェリダン)に会い、彼女が見事なレディに成長したことに驚く。不良少年たちは舞い戻ったロッキーをたちまち偶像のように崇拝する。ロッキーは悪徳弁護士フレイザー(ハンフリー・ボガート)に大金を預けていたが、フレイザーは闇の実力者キーファー(ジョージ・バンクロフト)と共謀し、ロッキーを殺して大金を横領する計画をたてた。ジェリーは街の浄化運動に乗り出す。

ロッキーはフレージャーとキーファーの裏切りを知り、2人を射殺すると、倉庫に逃げ込む。周囲を警官隊に包囲され、銃撃戦の末、催涙弾が投げ込まれ、ロッキーは逮捕される。ロッキーは死刑を宣告されるが、平然としてその態度にますます不良少年たちは彼への崇拝を強める。悪影響を心配したジェリーは、ロッキーに面会して死刑になるときに臆病者のように振る舞ってくれと頼むが、ロッキーはこれを一笑に伏した。いよいよ電気椅子の前に連行されたロッキーは、最期の一瞬で臆病風に吹かれてたじろぎ、みじめな姿をさらけ出す。ジェリーからそのロッキーの最期を聞いた少年たちは落ちた偶像に失望する。ジェリーは亡き友の最後の友情に感謝するのだった。

ローランド・ブラウンの原案をジョン・ウェクスリー、ウォーレン・ダフが脚色。クレジットにはないが、ベン・ヘクト、チャールズ・マッカーサーも脚本に協力しているとのこと。キャグニーの自伝によると、ロッキーが死刑を前にして泣き叫ぶ場面は、ジェリーの願いを聞き入れたのか、それとも本当に臆病風に吹かれたのか、どちらの解釈もできるように演じたのだという。またこのメロドラマ風構造のギャング映画における自己犠牲という点に着目すれば、『カサブランカ』にも共通するマイケル・カーティス的な主題だともいえるかもしれない。

映画に出演している不良少年たちは、デッド・エンド・キッズと呼ばれる6人の少年俳優のユニットである。ブロードウェイで成功を収めたシドニー・キングスレーの戯曲『デッド・エンド』に出演していた少年たちで、サミュエル・ゴールドウィン製作によるその映画版(1937年、ウィリアム・ワイラー監督)にも出演している。ワーナー・ブラザースは彼らを起用して不良少年たちを題材にしたB級映画シリーズも製作する。ちなみに映画版『デッド・エンド』でも彼らはハンフリー・ボガート演じるギャングを英雄視するという役柄である。

ついでながら、香港映画『英雄正伝』(1986年、カーク・ウォン監督)は本作のリメイク。またWikipediaによると、インド映画にシャー・ルク・カーン主演のヒンドゥー語版リメイク『Ram Jaane』(1995年、ラジブ・メーラ監督)という映画があり、ボリウッド的味付けながら、プロットは『汚れた顔の天使』と同じだという。