コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 鈴木英夫〈その16〉インタビュー:宝田明   Text by 木全公彦
本領発揮できず?
――千葉さんが撮られた『狐と狸』(1959年)という詐欺師ものがあるんですが、鈴木さんもその流れで詐欺師の映画を1本撮っています。

宝田『3匹の狸』(1966年)ですね。あれは伴淳さんと小沢昭一さんか。府中の刑務所で撮影をしたんだけど、お昼になって囚人服のまま刑務所の前の食堂に伴淳さんと小沢さんと3人で入ったら、周囲の人にびっくりされた。これはなかなかおもしろい映画だったけど、やっぱり鈴木さんの本領ではないね。どっちかというと松林和尚さんがやるような映画。でも藤本さんに引っ張られたんじゃしょうがないよね。東宝には黒澤明がいて、成瀬巳喜男がいて、稲垣浩がいて、その3人が別格の巨匠でしょう。それで藤本派には成瀬さんのほかに、千葉さんがいて、松林さんがいて、杉江さんがいて、それじゃあまり器用じゃない地味な鈴木さんのいいところはないね。鈴木さんは本当はスリラー、たとえば松本清張なんかやりたかったんじゃないでしょうかね。

――まさしくそのとおりなんですが、松本清張の作品は三輪礼二さんのプロデュースで1本あります。『黒い画集』シリーズの『寒流』(1961年)です。

宝田ああ、小林桂樹さんが出演された堀川(弘通)さんの第1作(『黒い画集 あるサラリーマンの証言』)は評判がよく、ヒットしましたからね。

――で、続編をということで作られたのが『寒流』なんですが、これもシナリオを20分以上削られた上、推理映画でもないし人も殺されないし地味だということで、しばらくお蔵になって、次の杉江さんが撮った第3作の『遭難』(1961年)のほうが先に封切られて。つくづくツイてない(笑)。でも本領はやはりスリラーやサスペンスなんですよ。宝田さんはたくさん鈴木さんの作品に出演なさっているけど、見事にそういう作品はない。

宝田僕はやはり藤本派だったからね。映画が斜陽になりはじめてからの頃だけど、鈴木さんはテレビにお移りになられましたね?

――はい。

『新平四郎危機一発』
宝田僕はテレビで『平四郎危機一発』(TBS、1967‐1970年)というのを何本か鈴木さんとやったことがある。

――それ、見てました。小学生の低学年でしたけど、大好きでした。初代が石坂浩二さん(1967‐1968年)、二代目が宝田さん(1969年)、三代目が浜畑賢吉さん(1970年)でしたよね。原案は映画評論家の双葉十三郎さんと南部圭之助さんです。最近CSで再放送されていたみたいで。

宝田普段は花屋をやっている男が、事件が起こると拳銃抜いてバンバンやるんだね。でも、そういうのはちょっと変だと思うんです。僕は映画でも『100発100中』(1965年、福田純監督)とか、そういう荒唐無稽なアクション映画にも出ているけど、現実の日本でそういうのはありえないわけですよね。あんまりリアルじゃない気がする。

――鈴木さんもそういうのが苦手だったみたいです。その苦手だったジャンルの最たるものがメロドラマやひねった風刺喜劇で、宝田さんとは『その場所に女ありて』を例外にして、鈴木さんの苦手とするものばかりで一緒にお仕事をなさっている(笑)。でも今日は興味深いお話ばかりでした。貴重なお話ありがとうございました。



2016年10月14日 宝田企画にて
取材・構成:木全公彦