コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 Jフィルム・ノワール覚書⑩ 『警視庁物語』の時代 その4   Text by 木全公彦
総括
『警視庁物語』シリーズを牽引したプロデューサーの斎藤安代は、後年次のように回想している。「長谷川さんと、次の作品のテーマをどうするか、議論しながら続けて行ったが、シリーズのテーマは、犯罪の裏にある“日本の貧しさ”について語るということにつきる。/昭和30年代。もはや戦後ではなかったが、まだ、テイク・オフが完了していなかった日本社会。捜査の過程で浮かび上がって来るのは“日本の貧しさ、そして悲しさ”。そのメッセージが観客の共感を呼んだのだと理解している」(「クロニクル東映Ⅰ 1947-1991」(1992年、東映)

『警視庁物語』シリーズが作られたのは、日本が敗戦からの奇跡的な復興を遂げ、急速な高度経済成長にあった時代。だが必ずしもその繁栄を享受できた人たちばかりではなく、そこから取り残された人たちもいた。当初は事件の捜査過程を緻密に見せることで、リアリティある犯罪捜査映画を目指したが、次第にマテリアリズムとリアリズムに立脚したセミドキュのスタイルを完成させ、単に事件や捜査を克明に描くだけにとどまらず、繁栄と貧困、東京と地方、学歴の問題などの格差が突きつける矛盾を照らし出し、必然的に人間の哀しみを描き出していた。実際、会社から与えられる企画でプログラム・ピクチュアを撮っている監督たちにとっても、現在社会が抱える社会的な諸問題に真っ向から取り組める数少ない機会だったはずだ。

当時、東映東京撮影所に所属していた深作欣二は次のように書く。「『警視庁シリーズ』を撮ることは、当時の新鋭監督のひそかな喜びであったようだ。何故か? それは、会社公認の形で〈現実〉に切り込める唯一の可能性だったからだ。そこでは、カッコ良いアンちゃんのヒロイズムを謳歌する必要もなく、空虚な義理人情を嫋々と奏でる必要もない。堂々と自然主義リアリズムの方法で――日本映画の良心今井正と同じ方法で――現実の諸問題にアプローチ出来る。そしてそれは同時に、自分が良心的な作家であることの証明ともなる。今井正のごとく、より深刻で切実な〈社会問題〉をとりあげることは無理でも、それはまだ我慢しよう。何しろこれは会社公認の企画なのだから――。/このような意識が『警視庁物語』を担当した監督たちに果して皆無だったといえるだろうか? 僕はこのシリーズの経験がなく、また不思議に助監督としてつく機会もなかったのだが、僕自身のなかには、助監督当時、明瞭にその意識が働いていた」(「東映現代劇12年を舞台裏からみれば」、「映画芸術」1965年8月号所収)

ところで、『警視庁物語』の刑事たちは名前こそ与えられているものの、ほとんど性格や個性が描かれない。彼らの私生活さえもほとんど描かれることはない。刑事たちは犯罪の背後から現れる貧困や悲惨さに共感したり、詠嘆したり、批判したりしない。感傷や告発調の表現は抑制され、刑事たちの捜査を触媒にして露わになる非情な現実の断面をそのままの形で切り取って見せるだけだ。その意味において、このシリーズは徹底的にマテリアリズムが貫かれている。主役は刑事ではなく、あくまで事件そのものなのだ。もちろんそうした方法論は、ノースターの集団劇であるからこそ実現できたのだろう。

それらの方法論が明確に示されるのは、村山新治が参加した辺りからだろう。先行する関川秀雄とともに記録映画出身の村山が確立したマテリアリズムとセミドキュの方法論は、定型化され、飯塚増一に継承され、上質な社会派ミステリとしてさらに洗練された。だがシリーズの後半になると、ドラマ性を志向する新人監督の起用によって、物語は犯罪から浮き彫りになる社会が抱える矛盾よりも個人の問題に集約され、技巧的な演出が目立つようになってきた。それ自体は悪いことではないが、シリーズに変質の兆しが見えてきたことは確かだった。だから24話をもってシリーズが打ち切られたのはちょうどよかったのかもしれない、と思う。

なお、2009年にCSの東映チャンネルで、ネガが破損して見られない『謎の赤電話』を除くシリーズ23作が連続放映された。そのあと、このシリーズに反応したごく一部の映画評論家は、このシリーズについて熱っぽく語ったが、映画に映し出される東京オリンピック以前の失われた東京の風景について語る者が圧倒的に多かった。確かに『警視庁物語』シリーズが映し出す昭和30年代の東京の風景は興味深い。現代のように無機質に画一化された風景ではなく、そこには生きた人間の生活が息づいていた。したがって単なるノスタルジーを越えて、犯罪が生起する場所としての風景が記録されていることについては、言葉を惹起させるに足る要素もあるのだとも思う。かつて松田政男(映画評論家)や朝倉喬司(犯罪ルポライター)が試みたように、風景をとっかかりにしたいくつかの興味深い犯罪や事件に対する論考があったように。だが、そのような文章はほとんど書かれなかった。単なるノスタルジーを否定するわけではないが、それにしても『警視庁物語』の確立した方法論の革新性や犯罪があぶり出す社会の矛盾についてはほとんど触れられていないのはどうしたわけか。現代社会があの時代より豊かになったから? まさか。そんなのは悪い冗談だ。

とりあえず、それらについて論じた同時代の優れた論考を二本紹介しておきたい。「やむをえざる犯罪の物語――「警視庁シリーズ」論――」(蒼井一郎[日本ヘラルドの宣伝部長・山下健一郎]著、「もう一つの戦後論」那須書店、1966年/再録「現代日本映画論体系」第2巻「個人と力の回復」、冬樹社、1970年)、「村山新治と長谷川公之――警視庁物語からの脱出」(水野和夫[水野晴郎]著、「映画評論」1963年5月号所収)。本稿を書くにあたっても大いに参考にさせていただいた。