コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 Jフィルム・ノワール覚書⑩ 『警視庁物語』の時代 その4   Text by 木全公彦
『全国縦断捜査』
『警視庁物語 全国縦断捜査』ポスター

『警視庁物語 全国縦断捜査』スピードポスター
㉑『警視庁物語 全国縦断捜査』(1963年6月14日公開)82分
[監督]飯塚増一 [脚本]長谷川公之 [撮影]山沢義一
[事件名]奥多摩焼死体事件 [事件発生場所]奥多摩 [その他の主要なロケ地]青梅(青梅警察署)、那覇国際空港(沖縄)、那覇市久茂地(沖縄)、那覇市国際通り(沖縄)、具志川村(現・うるま市、天願闘牛場)、玉城市(沖縄)、守礼門(那覇市首里)、健児の塔・ひめゆりの塔(沖縄市糸満市)、萬年橋近辺(清澄白河)、鮫洲、駒沢公園?(野外プール)、南秋田郡?(秋田)、八郎潟(秋田)、四日市市(三重県)、上野駅

東京奥多摩で顔をめちゃくちゃに潰された男の黒こげ死体が発見された。現場の遺留品には、沖縄煙草「うるま」の吸い殻と、仏桑花の模様と那覇の小学校名の入ったバックルがあった。現場検証の結果、犯行は午後6時半頃行われ、犯人はバンドで被害者を絞殺したあと、石油缶で顔を潰し、焼き殺したことが判明した。煙草に付着した唾液から犯人の血液型はA型であることも分かった。手がかりを追って沖縄へ飛んだ長田部長刑事は、バックルが全部で7個あることを突き止めた。一方、東京の捜査本部では被害者からの指紋で、被害者が樺太からの引揚者で佐山久という名で、窃盗の前科があることが分かった。

シリーズ5度目の長篇はシリーズの20本突破記念した作品で、東京、沖縄、秋田、四日市に大ロケーションを敢行した大作。監督は4度目の登板になる飯塚増一。シリーズで手がけた全4作中2作が長篇で、村山新治と並んで本シリーズの質的向上に大きく貢献したエース級の監督と言ってもよいだろう。本作では戸籍乗っ取りに絡む殺人事件を追う刑事の捜査を通して、米軍占領下にある沖縄の諸問題、沖縄戦の記憶、高度経済成長で建設ラッシュに沸く土木業界、その陰で繁栄から取り残されて底辺で生きる貧民層の人々の姿、八郎潟干拓により漁場が荒らされてしまった漁師の問題、巨大な海外資本の日本進出による現実、石油コンビナートの建設などの問題をあぶり出す。本作でプロデューサーに斎藤安代とともに登石雋一の名前が加わる。

映画のタイトルバックは、林の中で争う男の影が映し出される。一方の男がベルトでもう一方の男を絞殺し、持っていた一斗缶で死体の顔をめちゃくちゃに殴打する。そして死体にその一斗缶から石油をぶっかけて火を放ったところで、メインタイトルが出る。続いてシートの上に乗せられた黒焦げの死体を警視庁の刑事たちと法医技師が覗きこむ姿を俯瞰で捉えたショット。そして捜査が開始される。なかなか見事なオープニングである。

遺留品から沖縄に関係があるということで、場面は青梅警察署から沖縄へ。始まってここまで約22分。2機の米軍のジェット機が轟音を立てて飛んでいるショットから始まる。那覇空港には地元の部長刑事(清水元)が長田部長刑事(堀雄二)を迎えにきていて、沖縄の歴史や事情を話しながら、沖縄での捜査を進めて行く。その捜査の過程で浮き彫りになるのは、アメリカの治世下にある沖縄が抱える戦争の記憶、基地問題、沖縄返還などの諸問題である。

撮影に関して、沖縄ロケは3日間というハード・スケジュールにもかかわらず、那覇空港、国際通り、具志川村(現・うるま市)の天顔闘牛、ひめゆりの塔など、観光名所は押さえている。当時新人歌手だった嘉手納清美、琉舞の川田公子が特別出演。嘉手納の歌う「星空の那覇空港」の作詞は劇作家の内村直也で、彼はマーロン・ブランド主演の『八月十五夜の茶屋』(1956年、ダニエル・マン監督)のヴァーン・J・スナイダーによる原作の翻訳も手がけている。ひめゆりの塔を前に清水元が堀雄二に沖縄戦について話す場面では、米軍艦が艦砲射撃するモノクロのニュース映像が挿入される。余談だが、料亭の場面でフマキラーのベープマップをセットする場面の挿入があり、その露骨なタイアップ・ショットはご愛嬌。

『警視庁物語 全国縦断捜査』
一方、東京の捜査チームは判明した被害者の身元から、水上生活者である兄嫁(谷本小代子)の住む粗末な係留船に聞き込みに行き、さらに沖縄の建設現場で働いたことのあるという労務者(潮健児)の証言を得て、捜査線上に大塚という容疑者が浮上する。その足取りを追ってドヤ街にあるヤキトリ屋で聞き取りを行うが、彼は情婦と無理心中してしまう。結局、それによって彼のアリバイが成立し、大塚はシロということになる。

こうした中、被害者を燃やした一斗缶の出所をめぐって、巨大な海外資本エッソの日本進出について刑事が語ったり、三重の石油コンビナートの圧倒的巨大さが仰角で威圧的に撮えられている場面があるなど、経済成長の中でのいびつな支配と被支配、繁栄と貧困の二重構造が浮かび上がる。

結局、容疑者は秋田の貧農で育った男で、義父母を殺して逃亡中であることが分かる。刑事たちが容疑者の生家がある秋田の農村部を訪ねる場面では、野良仕事をする容疑者の妻(岩崎加根子)が刑事たちの問いかけに憎悪の視線を向けて吐き捨てるように答えていると、ふと少し離れたところでなにかをしている男の子を「なにしてるだ!」と叱りつける。カメラが急速にズームすると、少年は生きた蛙の腹を石で叩きつぶして遊んでいる。傍らにはすでにもう一匹の蛙が木の枝に突き刺されて串刺しになっている。岩崎加根子は「父親の血があれさの中に流れている」と半ばあきらめたように刑事たちにいう。強烈なインパクトに満ちたショッキングなシーンだ。

そして容疑者が戸籍を乗っ取って他人に成りすますため、樺太からの引揚者や沖縄出身者など内地以外の人間を次々と殺していることが判明する。刑事たちは上野駅に犯人を張り込み、見事捕縛する。この場面は明らかに隠し撮りで、遠くの方の通行者が何事かとカメラの方を見ている。そればかりか上野駅の場面はすべて現実音無くして音楽だけを処理している。

その頃、犯人の現在の妻(中原ひとみ)は、殺人犯の子供を産み、夫が戸籍を乗っ取ったどこの誰か分からない犯罪者だと知り、生まれたばかりの赤ん坊の絞め殺そうとし、刑事たちに制止される。絶望からベッドに突っ伏して号泣する彼女、傍らに立つ刑事の姿をカメラは俯瞰で斜めの構図で撮らえる。悲痛なラストシーンである。