コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 Jフィルム・ノワール覚書⑩ 『警視庁物語』の時代 その4   Text by 木全公彦
『ウラ付け捜査』
『警視庁物語 ウラ付け捜査』ポスター
⑳『警視庁物語 ウラ付け捜査』(1963年2月10日公開)58分
[監督]佐藤肇 [脚本]長谷川公之 [撮影]仲沢半次郎
[事件名]オートレース場裏殺人事件 [事件発生場所] 浅草(浅草警察署) [その他の主要なロケ地]浅草松屋裏(金多丸質店)、谷中(質屋かぎ屋)、両国(希望荘)、世田谷(世田谷警察署)、浅草ひさご通り商店街、雷門(ナナ美容院)、小千谷市(新潟県)、西多摩オートレース場

留置場に拘留中の男が悪夢にうなされ、2年前に起こった迷宮入りの事件の犯人だと自白したと、捜査一課に連絡が入った。オートレース場の裏の古井戸から扼殺された女性の腐乱死体が発見されたのだが、捜査は行き詰まり、打ち切りになっていたのだ。男は無銭飲食で浅草警察署に留置されていた。捜査一課は聴取をとるため、浅草警察署に向かった。しかし男は取り調べで死体の付けていた下着には見覚えがなく、頭部にあった古傷も知らなかった。男は被害者の名前はユキといい、彼女に盗品を質屋に持って行かせたことがあるという。捜査員たちは裏付けをとるため質屋をあたり、さらに被害者の故郷である新潟の小千谷に飛んだ。

脚本のタイトルは『警視庁物語 ウラ付捜査』。映画は「け」がついて『警視庁物語 ウラ付け捜査』となる。

8ヶ月中断していたシリーズの再開第1作。中断の原因は推測でしかないが、本シリーズの成功によって、テレビや他社映画会社が追随して同じような刑事ものを作り始め、その第一人者である長谷川公之がテレビにも駆り出され、多忙を極めたためではないかと思われる。実際、長谷川は本作の直前には、『警視庁物語』の影響下に作られて評判を呼んだテレビ刑事ドラマシリーズ『七人の刑事』を松竹が映画にした『七人の刑事』(1963年、大槻義一監督)に脚本を提供している。そのためか本作の原案になったのは、前作『19号埋立地』に続いて、長谷川がすでにテレビ『刑事物語』の第5・6回『過去からの声』として書き下ろした脚本を劇場用に脚色し直したもの。ただしそのようなクレジットはされていない。

『警視庁物語 ウラ付け捜査』
第20話『ウラ付け捜査』と第22話『十代の足どり』の2本撮りで、監督はシリーズ初の佐藤肇。1952年に東映東京撮影所に入社して、1960年『17才の逆襲・俺は昨日の俺じゃない』で監督デビュー。松本清張の小説を映画化した監督3年目の第4作『考える葉』(1962年)で注目を浴び、それに続く本シリーズへの登板となる。後年、『散歩する霊柩車』(1964年)、『怪談せむし男』(1965年)、『吸血鬼ゴケミドロ』(1968年)など、マニア色の濃い作品ばかりを監督する。決して多くはない劇場用映画のほとんどはSF・ホラー・スリラーばかりという理論肌のディレッタント監督としては、自然主義リアリズムを志向する本シリーズは正反対の題材。事実、すでに新人監督の登竜門として、若い監督たちからステイタスになっていた本シリーズだが、佐藤はプロデューサーの斎藤安代から監督を持ちかけられて、最初は断ってしまおうと思ったという。だが「私は一読して、“夢枕に立つ女にウナされる容疑者”という設定と、“古井戸をのぞき、殺した女の名を呼びつづける犯人”という、この映画のラスト・シーンに強く心を引きつけられた」(「佐藤肇回想録 恍惚と不安」、私家版、1988年)という。実際、留置場で容疑者が悪夢にうなされるという導入部はまるでホラー映画の出だしのようである。

「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」という憲法38条2項の条文を守って、迷宮入り殺人事件を自白した男のウラ付け捜査をする捜査陣の姿をとらえる。

本シリーズはリアリズムを基本にするセミドキュの刑事ドラマのシリーズなので、これまでの作品ではカメラの存在を意識させるようなカメラワークや演出はほとんどなかったが、佐藤肇が監督した2本の作品はセミドキュというよりもドラマに近く、クレーンやドリー、長回し、音のズリ上がりなどの技巧を駆使して意図的に演出やカメラを意識させる作りになっている。佐藤の言葉を引用する。「『警視庁物語』は、大部分はなんのドラマの衝突もない。“聞き込み”の連続である。だから、たいがいの場面はヒネクって撮るわけにはいかない。そんなところが、そのころの私の感覚では、やっぱり“ものたらなくて”仕方がなかった。/まず『警視庁物語』には、“ドラマ”がない。あったとしても“チック”がない。つまり“ドラマチック”な劇的葛藤がないのだから、どう撮っても“カットが割れない”のだ。いきおい、なんでもワンシーン・ワンカットになってしまう。画面が単調になる危険がある。それなのに、例えば捜査本部で、大勢の刑事たちが三ページほどもだらだら話すだけのシーンがある。それをワン・カットで撮ったところでモチャしない。無理に“割る”わけにもいかないのだ」(前出「佐藤肇回想録 恍惚と不安」)。

『警視庁物語 ウラ付け捜査』
では佐藤はどのように撮ったのか。映画が始まってまもなく容疑者が本庁の堀雄二に取り調べを受ける場面がある。終始容疑者は観客に対して後ろ向きで後頭部しか見えない。カメラは長回しでこの場面を1ロールぶんずっと固定ショットで撮っている。そしてやっと最後の「やってません!」というセリフで初めて容疑者の顔を映し出す。冒頭の留置場で男が悪夢を見てうなされる場面では薄暗かったので、顔はよく判別できなかったから、観客はこのカットでようやく男(井川比佐志)の顔を見ることになる。

あるいは後半部で刑事たちが被害者の女性の故郷である小千谷市に行く場面。刑事がかつて被害者の女性と関係のあった町の有力者の息子(今井健二)に面会すると、彼は紋つき袴の姿。町はちょうど祭りなのだ。今は別の女性と家庭を持った男には息子までいる。男が事情を話すと、刑事がユキが殺されたことを知らせる。驚く男の顔に祭りの囃子の音がズリ上がり、続いて天狗の面をかぶった男たちが踊る祭りが映しだされる(二荒神社祭礼)。そしてユキの母親が雪原で佇むロングショットにディゾルヴして東京の取調室へ。祭りの場面は長谷川公之の脚本にはない。現地にロケに行った佐藤がちょうど祭りだったので思いつきで挿入したものとのこと。そしてこの挿入は続くラストシーンにドラマチックな盛り上がりを添えることになった。技巧派・佐藤肇の面目躍如たる演出である。

佐藤によると、ラストシーンは被害者の死体を投げ入れた古井戸から、その死者の魂の“見た目”で井戸を覗きこんで女の名を叫ぶ井川の顔を撮るつもりで、井戸のオープンセットまで組んであったという。ところがさすがにプロデューサーの斎藤安代に猛烈に反対されて取り止めになったという。