コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 Jフィルム・ノワール覚書⑨ 『警視庁物語』の時代 その3   Text by 木全公彦
『不在証明(アリバイ)』
『警視庁物語 不在証明』ポスター

『警視庁物語 不在証明』
⑮『警視庁物語 不在証明(アリバイ)』(1960年1月26日公開)61分
[監督]島津昇一 [脚本]長谷川公之 [撮影]仲沢半次郎
[事件名]守衛殺し事件 [事件発生場所]大手町 [その他の主要なロケ地]高輪、西久保町(現・虎ノ門)、千代田区常盤橋公園

夜更けの或る官庁で巡回中の守衛が何者かに襲われた。翌朝、駆けつけた捜査第一課は救急車を手配するが、まもなく守衛は死亡した。守衛の壊れた腕時計から犯行時間は午後9時13分と推察された。金庫は荒らされていたが、係長の岡本は紛失したものはないという。金庫のダイヤルを知っているのは秋田、根岸という資材課員と、岡本係長だけ。状況から内部の者の犯行である可能性が高くなった。しかも、その3人が揃って昨夜残業したとわかると、捜査陣は3人のアリバイ追及に乗りだした。

シリーズ第15作と第16作は島津昇一の初登板。島津は戦前の巨匠・島津保次郎の息子で、早稲田大学を中退して東映東京に入社。1959年『月光仮面・幽霊党の逆襲』で監督昇進。その後、もっぱら添え物作品を監督する。『殴り込み艦隊』(1960年)が出世作だろうか。続いて本作への登板となる。本シリーズでは4本を監督。1961年には東映を退社して、早々とテレビに転身し、『忍者ハットリ君』などを監督したが、父同様に早世した。代表作はやはり『警視庁物語』の4本ということになる。

また、本作と続く第16作で、千葉真一が本格的にデビューし(デビューはTV『七色仮面』のほうが先)、刑事の一員に加わった。常連・小宮光江は珍しく水商売やストリッパーやコールガールではなく、平凡なBG(今でいうOL)の役。

本作はアリバイ崩しがメインになるが、第11作『遺留品なし』で、チラリと言及された映画館「パール座」でのアリバイが大きくクローズアップされる。ちなみにこの時代に「パール座」という名前の映画館といえば、高田馬場にあった「パール座」(1951~1989年)しかないのだが、どうも劇中の「パール座」とは地理的にも外観や内装も条件が合わず、喫茶店ともどもセットである可能性が高い。

さらに本作で証言ごとに回想場面が挿入されるのも、本シリーズでは異色だし、本筋がアリバイ崩しということもあり、捜査と同時に推理にも重点が置かれ、いつもとは勝手が違い、さながら推理小説の映画化のようでもある。しかしそれにしてはかなりありふれたアリバイ工作で、推理小説に馴染んだ観客ならすぐにトリックは分かってしまうという欠点がある。

また、事件の起きた現場が大手町のビル内で、内部の犯行ということもあり、容疑者が内部の3人に限定され、警視庁での取り調べ場面も長い。そのため本シリーズの魅力であるロケーションを多用したセミドキュのスタイルはさほど前面に押し出されていない。さらに人間ドラマとしてもあまり深みがない。だが、そうした不満は次作『十五才の女』で一挙に解消され、犯罪の裏に隠された哀しい人間たちのドラマとしての本シリーズの本領を遺憾なく発揮することになる。