コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 Jフィルム・ノワール覚書⑨ 『警視庁物語』の時代 その3   Text by 木全公彦
今回は『警視庁物語』シリーズの第2期として、第10作『108号車』から第18作『謎の赤電話』まで取り上げる。デ-タ中、[事件名]はできるだけ劇中に登場する捜査本部が掲げる事件名に準拠し、特に登場しないものは便宜上の名称をつけた。セミドキュ・スタイルの映画であるのに加えて、事件が土地に結びついているものがあるため、できるだけ[ロケ地]を判別したが、映画から判別できるものには限りがあるため、分かったものだけを記載した。

『108号車』
『警視庁物語 108号車』ポスター

『警視庁物語 108号車』
⑩『警視庁物語 108号車』(1959年6月9日公開)54分
[監督]村山新治、若林栄二郎 [脚本]長谷川公之 [撮影]佐藤三郎
[事件名]警察官殉職事件 [事件発生場所]麻布三河台町(現・六本木)  [その他の主要なロケ地]新宿区合羽坂下(警視庁青葉寮)、神田金沢町(現・外神田、サガミ電機)、港区麻布台(フジイガレージ)、府中(自動車試験場)、墨田区錦糸(墨田区検察庁)、江東区北砂、千住(自動車練習場)、北区王子(王子警察署)、有楽町(地下駐車場)、北の丸公園(弥生廟)

夜明けの町をパトロール中のパトカーに工場から大量のトランジスタ・ラジオを盗まれたと通報が入る。道端に停止している不審な小型トラックを発見し、警官がパトカーを降りて近づくと、トラックは警官を振り切って急発進した。警官はトラックのステップに足をかけるが、振り落とされて銃撃されて死亡する。トラックのナンバーを手がかりに警視庁捜査一課が動き出した。

シナリオ時のタイトルは『警視庁物語 一〇八号車』だが、映画のクレジットは『警視庁物語 108号車』。そのためか一部資料にはシナリオ時のタイトルになってものもあるが、訂正しておく。

監督は村山新治と若林栄二郎の共同。どうして共同になったか詳しいことは不明だが、おそらく村山を補う形で若林が監督を引き継いだものと思われる。若林は村山の2つ年下で、村山が1949年に大泉映画に入社したのに対して、同じ1949年に東横映画に入社。監督昇進は1958年の『夜霧の南京街』で、しばらく『月光仮面』『少年探偵団』『遊星王子』などの年少者向けアクション映画を監督していたが、本作で共同監督ながら初めて本格的に大人向けの作品を手がけることになる。

初めて警官の殉職を取り上げた一篇。いつものように足を使った捜査に加えて、自動車試験場で運転免許台帳を調査したり、検察庁で交通違反調書を総出で調べたり、地道な書類調査も並行して描かれる。そのせいか絵に動きが乏しく、展開もテンポに欠け、やや地味な印象を与える。中盤の聞き取り調査でちょっとだけ出てくる、奥さんの尻の下に敷かれているらしいオネエ言葉の放送作家を浜田寅彦が演じているのがおかしい。ラストに殉職した警視庁及び消防庁職員の慰霊を祀る丸の内公園内にある弥生慰霊堂に、捜査官たち7人が参るラストシーンはさすがに心に沁みる。殉職した警官の同僚や遺族の心情の描き方も抑制されていて過不足なく的確。

第8作『魔の伝言板』(1958年、村山新治監督)に出演した曽根晴美は、記録上は本作が正式デビュー作。