コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 Jフィルム・ノワール覚書⑧ 『警視庁物語』の時代 その2   Text by 木全公彦
今回は『警視庁物語』シリーズの第1期として、第1作『逃亡五分前』から第9作『顔のない女』まで取り上げる。デ-タ中、[事件名]はできるだけ劇中に登場する捜査本部が掲げる事件名に準拠し、特に登場しないものは便宜上の名称をつけた。セミドキュ・スタイルの映画であるのに加えて、事件が土地に結びついているものがあるため、できるだけ[ロケ地]を判別したが、映画から判別できるものには限りがあるため、分かったものだけを記載した。

『逃亡五分前』
『逃亡五分前』ポスター
①『警視庁物語 逃亡五分前』(1956年2月18日公開)60分
[監督]小沢茂弘 [脚本]長谷川公之 [撮影]星島一郎 [助監督]チーフ:島津昇一 セカンド:飯塚増一
[事件名]連続自動車強盗殺人事件 [事件発生場所]深川近辺のタクシー内[その他の主要なロケ地]柳橋、新橋、代々木、東京駅(理髪店)、田町、浅草、木場

深川近辺のタクシーの車内から運転手の射殺死体が発見された。駆けつけた捜査陣の現場検証で、手口から最近頻発している連続犯らしいと断定される。車内から発見されたわずかな遺留品をたどっての捜査、聞き込み、モンタージュ作成など、警視庁機動捜査陣の追跡を緻密でリアルな描写で追っていく。

映画の下敷きになったのは、前回も触れた「深川自動車強盗殺人事件」として、実際に起きた事件を警視庁の鑑識課から広報課に移籍した脚本の長谷川公之が16ミリで記録した作品。
冒頭に描かれる深夜の事件の発端から、翌日の現場検証まで、導入部分がスピーディで、すぐさま刑事たちの聞き込みへとつながるのは、昨今のやたら長い前口上のある映画に慣れた目には逆に新鮮に映る。60分の中篇だから当然といえば当然なのだが、いつもは野暮ったい小沢茂弘の演出も心なしか軽やかである。脚本を書いた長谷川公之自身の投影ともいえる現場検証の法医技師の台詞が、短いながらも専門的で実にリアル。シリーズでいつもこの役を演じる片山滉は銃器鑑識係の役で出演している(銃器鑑識役は、第5作『上野発五時三五分』まで続き、以降は法医技師を演じる)。

その一方で、イニシャル入りのパーカーの万年筆のように、小道具がそれなりの役割を果たしているものと、うまく生かされていないものがある。犯人がコインロッカーから取り出すドストエフスキーの「罪と罰」は意味深長なだけであまり意味がないし、血のついたワイシャツは血液型を調べるために鑑識に回されるのになんら結果が出ないまま放置されてしまう。このあたりは脚本のミスだろう。

シリーズが進展するにしたがって、犯罪とそれを追う刑事たちの姿を同時代の日本の風景とともに記録する演出姿勢が濃厚になっていくが、本作では室内場面が多く(浅草仲見世通りの場面も寄りはセット撮りのようだ)、まだセミドキュの精神が強く出ていない。とはいえ、事件を捜査陣からの一元的描写で通すという、長谷川公之の意図は発端を例外にすれば実現されており、シリーズの骨格は固まったといってもよいだろう。終幕部に刑法240条の条文「強盗人ヲ死ニ到シタル時ハ死刑又ハ無期懲役ニ處ス」が出るが、これは第4作『白昼魔』まで踏襲される。

なお、当時のプレスシートの解説部分には、『終電車の死美人』を受けた配役の妙についてかなり踏み込んで触れており、今でいうところのネタバレだと思うのだがよかったんだろうか?