コラム『日本映画の玉(ギョク)』Jフィルム・ノワール覚書⑥ 新東宝の衛星プロと日米映画   Text by 木全公彦
総括
日米映画では“犯罪捜査”シリーズの最終作『女の決闘』のあと、NTVが撤退したあとも、新東宝の番組を埋める併映用作品のニーズはあるという目論見から、同傾向の作品を単独で2本製作する。

『恐怖の罠』
⑪『恐怖の罠』(1959年4月17日公開)63分
[製作]池田一夫 [監督]野村浩将 [脚本]高橋二三
[出演]万里昌代、沼田曜一、御木本伸介、鳴門洋二

⑫『殺人魔の接吻』 (1959年7月17日)50分
[製作]石川定一 [監督]斎藤和彦 [脚本]西沢治、斎藤和彦
[出演]江見俊太郎、江畑絢子、山田圭介、松任谷国子

スタッフも内容もほとんど“犯罪捜査”シリーズと変わりない。ただキャストは新東宝の契約俳優を使ったぶんだけ、幾分贅沢になっている。

ここで改めて日米映画・NTV提携の“犯罪捜査”シリーズを総括すれば、併映用の即製低予算の中篇映画という性格を考えても、あまりもお粗末で、内容も弛緩しきったものばかりだったと言わざるを得ない。ただしその人材は、すでに詳述したように映画史的に興味深いものがある。またあえてその意義を見出すとすれば、テレビ放送ののちに劇場公開するという、今でいうところのメディアミックスの先駆けをしたということだろうが、これとて苦し紛れに考えた方便に過ぎず、どの程度話題になったという点については、ほとんど記録がないということにも明確に証明されている。またJフィルム・ノワール史にどれほどの軌跡を描くことができたのかについてもはなはだ疑問である。しょせん、経営が逼迫する新東宝の番組を埋めるだけの存在に過ぎなかったのでないのか。

急速に経営が悪化する新東宝では、苦境をしのぐため旧作の改題短縮版の抱き合わせ上映も平然と行うようになる。日米映画は映画に見切りをつけて、“犯罪捜査”シリーズで提携したNTVで30分のテレビドラマ『矢車剣之助』(1959~1961年)全91回の製作を開始する。 監督は荒井岱志と中村純一。脚本は西沢治。

大蔵貢
そして1960年、東映が第二系統として第二東映発足。ますます映画会社の競争は激化し、各社体力勝負の消耗戦に突入する。体力のない新東宝の大蔵貢社長は、東宝、松竹、東映に配給提携を申し出るが、なんとか交渉の場に就いたのは東映だけだった。東映は新東宝と第二東映の合体に意欲を見せ、新東宝を現代劇専門の撮影所とし、配給部門を第二東映と合体させようとした。だがこれも東映側の出した「会長・大蔵貢、社長・大川博」という人事案に対し、大蔵貢が納得せず、あくまで自らが社長になることに固執。同時に 大蔵が東映との交渉と並行して日活にも合併を持ちかけていたことが発覚し、交渉は決裂。さらに第二撮影所を新東宝の下請け傍流会社、富士映画に売却していたことも発覚して、労組は大蔵退陣を掲げたストライキを決行する。

同年11月30日、大蔵貢は新東宝の社長を解任されて退陣する。1961年、新東宝倒産。倒産直前に大量の新東宝作品がテレビ局に売却され、真昼間にテレビ放映された。皮肉にも日米映画が試みたテレビ映画の劇場公開というスキームは、このような正反対の事態で結末を迎えることになったのである。