コラム『日本映画の玉(ギョク)』Jフィルム・ノワール覚書⑥ 新東宝の衛星プロと日米映画   Text by 木全公彦
“犯罪捜査”シリーズ その2
⑥ 『強奪された拳銃』(1958年8月17日公開)40分
[製作]池田一夫 [監督]木元健太 [脚本]高橋二三 [原作]樫原一郎
[出演]国分伝、三島謙、左京路子、千曲みどり、三村俊夫、鳴門洋二
ある夜、指名手配中の連続拳銃強盗犯が殺され、拳銃が奪われる。続いてその拳銃を使った殺しが起こる。スリの証言で犯人が明らかになるが……。ツブシに頼らず、本当に夜の街でロケしているらしく、夜の街や隠し撮りとおぼしき駅の構内の場面に生々しい臨場感がある。プロデューサーの池田一夫は、戦前の映画雑誌編集者から転じて、コロンビア映画で配給を経験し、製作に転身し、東京発声、東宝、松竹を転々とする。戦後は池田プロを作り(のち協立映画。純潔映画研究会の呼称も)、ピンク映画第一号と言われる『肉体の市場』(1962年、小林悟監督)をプロデュース。本作と同じ木元健太の監督で『性と人間』(1960年)を製作し、ヒットさせる。国分伝、左京路子(未知子)、鳴門洋二は新東宝で活躍。スリ役の三村俊夫はその後村上不二夫と改名して大映東京の映画に出演。

⑦ 『消えた私立探偵』(1958年10月19日公開)48分
[製作]松丸青史 [監督]中村純一 [脚本]阿部桂一 [原作]樫原一郎
[出演]谷幹一、三原悠子、太宰久雄、千倉京志、起田志郎、久里千春
女性の絞殺死体が河で発見される。被害者が身につけていた下着を追って辺見刑事が聞き込みをする。その捜査の過程で浮かび上がった容疑者が殺され、辺見が身分を隠して容疑者の愛人に近づく……。監督の中村純一は、京大時代に同級生の若杉光夫にオルグされて入党。その後、松竹京都に入社し、レッドパージに遭う。辺見刑事に谷幹一のほかに、新作座がユニット出演し、当時在籍していた太宰久雄や久里千春も出演。久里は本作がデビュー作。上野山功一もちらりと出ているが、キネ旬「日本映画俳優全集・男優篇」によると、上野山の映画デビューは1959年の日活入社の年となっているので、本作はそれに先立つ映画出演ということになる。

⑧ 『脱衣室の殺人』(1958年11月22日公開)43分
[製作]峰村謙二 [監督]沢賢介 [脚本]柳館雅章、高木敬 [撮影]上原雄二
[出演]左京路子、多摩桂子、飯田覚三、大塚周夫、山田康雄
キャバレーで起きたホステス殺人事件を刑事たちが解決する物語。ほぼキャバレー内部だけで話が展開する。監督の沢賢介は、記録映画・PR映画監督を経て、1962年以降はピンク映画で活躍する。ピンク映画界初のオールカラー『深い欲望の谷間』(1967年)を監督したことを知られる。左京路子(未知子)は殺されたホステスとナンバーワンを争うライバルのホステス。刑事に一人にのち声優と活躍する大塚周夫(リチャード・ウィードマーク、チャールズ・ブロンソンなど)、キャバレーの支配人に、これまたのち声優として活躍する山田康雄(『ルパン三世』、クリント・イーストウッドなど)。当時民藝所属。

⑨ 『悪魔と拳銃』(1959年1月22日公開)46分
[製作]石川定一 [監督]高見貞衛 [脚本]西沢治
[出演] 森山周一郎、大塚周夫、近衛敏明、武藤英司、飯田覚三、奥脇法彦
銀座で強盗殺人事件が起こる。偶然それを盗んだ拳銃を隠そうとしていたチンピラが目撃する。拳銃を盗まれたプロレス興行組合の事務所に矢田と名乗る男が来て、拳銃の行方を探してやるという。実は矢田は潜入捜査官だった……。後半は東京湾に浮かぶ要塞島である海堡で撮影されている。製作の石川定一は太泉スタジオ出身で、『女性対男性』(1950年、佐分利信監督)のほか、前述した『26人の逃亡者』のプロデューサー。日米映画が“犯罪捜査”シリーズに先駆けて製作した『和蘭囃子』と『神州天馬侠』のプロデューサーでもある。監督の高見貞衛は、マキノ御室からキャリアを始めたベテランで、その後は河合映画、帝キネ、新興キネマ、さらに甲陽映画という弱小プロで映画を撮った人。本作は約20年ぶりの本篇監督。劇団東芸のユニット出演で、劇団の一期生で、のちに声優として名を成す森山周一郎(テリー・サラヴァス、『紅の豚』など)が潜入捜査官の役で出演。同じく劇団東芸所属で、のち声優の大塚周夫が前作に引き続き出演し、犯人役を演じる。

⑩ 『女の決闘』(1959年2月3日公開)45分
[製作]松丸青史 [監督]金子敏 [脚本]西沢治
[出演]城実穂、谷国由起子、水沢摩耶、天草博子、玉川伊佐男、嵯峨善兵
港近くの倉庫街でキャバレーのダンサーが射殺される。犯人として被害者と三角関係にあった姉が浮上する。その三角関係の相手だった岡が殺された……。監督の金子敏は、黒澤明の監督助手として、『七人の侍』(1954年)、『蜘蛛巣城』(1957年)、『どん底』(1957年)のスタッフとして働いた人。それがどうして東宝で監督昇進せず、日米映画の監督になったのか……謎だ。岡に玉川伊佐男、キャバレーの経営者に東宝争議の闘士・嵯峨善兵。