コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 Jフィルム・ノワール覚書④ 『暁の追跡』について   Text by 木全公彦
旧版DVD『暁の追跡』
アンチ・ヒロイズム
前半は交番勤務をする主人公の警邏巡査の仕事や日常生活を追いながら、警官であることの苦労や生活者であることの悩みを見せていく。交番に勤務する同僚についても、石川と対照的に規律を重んじる主任の山口巡査、拳銃を暴発させて免職になり、キャバレーのバンドマンに転職する軽佻浮薄な檜巡査など、さまざまなキャラクターを登場させ、エピソードを積み重ねて物語を転がしていく。撮影は新橋にある実際の交番が使われたという。

労働争議を制圧する場面では、労働者と暴力団が入り乱れる中に警官隊が乱入していき、なかなか迫力のあるモブシーンになっている。もしかしたら市川崑自身の東宝争議の記憶が反映されたものなのだろうか。また人々の証言によって、似顔絵が修正されて次第に事件の鍵を握る八郎(江見渉)の顔になっていく場面もスリリングだ。

そして夜明けとともに、朝もやの中、警官隊が組織のアジトを急襲し、ドンパチが繰り広げられるクライマックスのスピーディかつダイナミックな展開。寝込みを襲われた組織のボス(富田仲次郎)は、パジャマ姿でワーナー・ブラザーズのギャング映画ばりにマシンガンをぶっ放して、踏み込んだ山口巡査を射殺し、空襲で半壊したレンガ塀の上へと逃げるが、その塀が崩れ落ちて圧死してしまう。レンガで建てられた倉庫や半壊したレンガ塀の景観が見事で(美術は中古智)、それが崩れ落ちる場面での新東宝特殊技術部による特撮も迫力がありすばらしい。

このように内容はハードボイルドなアクション映画であるにもかかわらず、本作がユニークで新鮮な印象を与えるのは、第一に、ロケーション中心にしたドキュメンタリー・タッチで地道な巡査の仕事が丹念に描かれていることがある。また舞台となる新橋近辺の風景が映画のもうひとつの主役であることはいうまでもない。第二に、主人公が警官として自分に悩み、疑問を感じて転職も考えるという等身大の人間として描かれているということがある。石川が証券会社の知人を訪ねていく場面には悲哀が漂って、妙にリアリティがある。とりわけ労働争議を制圧に行ったときに、同じ月給取りとしてやるせない気持ちになると石川が心情を吐露する場面は、警官といえども生活者であることの本音がにじみでていて秀逸。このように本作の根底には、アンチ・ヒロイズムに貫かれたヒューマン・ドラマがあるのだ。

『兇弾』が追う側と追われる側を交互に描いていたのに対して、本作では視点は警察側に留まり、それも警察上層部ではなく、新橋の交番に勤務する一介の巡査の立場から日常描写を積み重ねながら物語が構築されていく。そこから醸し出されるリアリティは、警察が轢死した容疑者から麻薬密売組織にたどりつくまでのプロセスに強引さがあるという、プロット上の弱点を補ってあまりある。

『暁の急襲』ポスター
本作のどこが『兇弾』と似ているかは、もはや指摘するまでもないだろう。元警官が書いた原案、ロケーションを多用したセミドキュのスタイル、一介の巡査の視点から描かれる犯罪捜査、人間性に焦点を当てたその細かな日常描写など、共通点はあまりに多い。似ていることは単なる偶然かもしれない。だがそれは大した重要なことではない。『暁の追跡』の成功は、姉妹編『暁の急襲』(1951年、春原政久監督、水島道太郎主演)をはじめとして、その影響下にある作品が次々と作られるきっかけになったことだけは確かである。

こうしてセミドキュというスタイルの犯罪(捜査)映画は、戦後のJフィルム・ノワールの最初の大きな潮流を形成していく。