コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 Jフィルム・ノワール覚書④ 『暁の追跡』について   Text by 木全公彦
『兇弾』について
ミッチェル(ジミー・ハンリー)写真右
冒頭の字幕によると、撮影にあたってロンドンのメトロポリタン警察が全面的に協力したとのこと。そのためか警察内部の描写、捜査の過程などが丁寧に描かれ、細部にすこぶるリアリティがある。同時に、ロンドンの下層階級の生活感のある日常描写にもリアリティがあり、まだ所々に瓦礫を残る町にロケーションして、追う者と追われる者のサスペンスが展開する。撮影はスタジオではなく、実在の建物やアパートで行われたようだ。ミッチェルが犯行に使われた拳銃を見つけることになる場面での子供たちが遊ぶ瓦礫や水たまりのある空地の向こう側には、空襲で半分壊れた建物が見える。終戦からまだ日の浅いロンドンの実際の姿がここにはある。

クライマックスを飾るロンドン市街でのカーチェイスは、撮影と編集の巧みさもあって大迫力。この場面はノンクレジットで第二班監督を担当したアレクサンダー・マッケンドリックが撮ったとのこと(マッケンドリックは追加ダイアローグも担当)。続くドッグレースの競技場に逃げ込んだ犯人を警官隊が追いつめる場面は、黒澤明の『野良犬』における野球場の場面とよく似ているが、『野良犬』同様にモブシーンを利用して臨場感にあふれ、ダイナミックな緊張を生みだしている。

そして新米警官とベテラン警官のコンビネーションがすばらしいことは、本作の最大の魅力だろう。これについても『野良犬』における三船敏郎の若手刑事と志村喬の老刑事のコンビを想起させるが、本作では刑事でなく警邏を担当する一介の巡査であるというところがより味わい深さを出している。このあたりも“バルコン・タッチ”の作品特有のアンチ・ヒロイズムというか、平凡な人間を主人公にして彼らが属する組織の仕事ぶりを丹念に描いていくリアリズム精神の表れといえるだろう。

ディクソン警官(ジャック・ウォーナー)

トム(ダーク・ボガード)とダイアナ(ペギー・エバンス)
とくにジャック・ウォーナーが演じた温厚で人情家のベテラン警官ディクソンは、映画の中盤で死んでしまうが、事実上の主人公ともいえる存在で、すこぶるいい味を出している。このキャラクターは、好評によりBBCのTV番組『ドック・グリーンのディクソン』に受け継がれ、『兇弾』で死んだにもかかわらず、強引に復活させ、ウォーナーはその後20年間ディクソン警官を演じ続けることになる。

一方、ダーク・ボガード演じる不良青年の凶暴な無軌道ぶりにも実在感がある。『野良犬』でいえば、盗んだ拳銃で強盗殺人を重ねる木村功にあたる役だが、ボガードが無軌道で快楽的な若い世代として描かれている一方、対比となる三船敏郎に相当するジミー・ハンリー演じるミッチェルが警察組織の一員としての存在にとどまり、際立った役割を振られていないため、黒澤作品のようなネガ・ポジ的ドッペルゲンガーの主題は浮上しない。だが『野良犬』とは異なって、追われる立場が追う立場と同等の比重で描かれているため、トムの異常さを描写したシーンも多く、トムが銃の手入れをしながら、銃口をダイアナに向けて彼女を怖がらせる場面など、ふとした折に見せる偏執的な酷薄さが強烈な印象を残す。

以上、『兇弾』について概観してみたが、戦後日本映画のフィルム・ノワールの出発点に、ハリウッドのセミドキュとともに、イギリスのバルコン・タッチの犯罪(捜査)映画が大きな影響を与えたことは、今一度確認しておきたい。