コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 Jフィルム・ノワール覚書① ノワールの誕生   Text by 木全公彦
『地獄の顔』
この菊田一夫の戯曲「長崎」を元にして映画化された『地獄の顔』は、クレジットこそ【原作:菊田一夫「長崎」より】とあるが、戯曲「長崎」とはまったくの別物といってもいい。共通するのは舞台が長崎であるというぐらいで、設定は当時、つまり映画が製作された1947年頃に移してあって、内容はハリウッドのワーナー・ブラザーズあたりがさんざ作ってきたようなバタくさいギャング映画である。

驚くのはこれを製作したのが松竹京都であり、監督が松竹京都で時代劇を量産してきた大曾根辰夫であるということだ。GHQの方針で事実上時代劇の製作が難しかった終戦直後の占領期に、多くの時代劇スタアが刀をピストルに持ちかえて、探偵映画やギャング映画を作ったことは、たとえば片岡千恵蔵の一連の「多羅尾判内」シリーズなどでも顕著であるが、松竹の時代劇部門を一挙に担う京都・下加茂にあった松竹京都撮影所も例外でなく、高田浩吉や坂東好太郎の時代劇で鳴らした大曾根辰夫も、この妙なギャング映画に手を染めたのであろう。主演が大映を辞して戦後フリーになったばかりの水島道太郎で、戦中には大ヒット作『新雪』(1942年、五所平之助監督)以降、月丘夢路と名コンビを発揮し、人気がピークだった時代である。

ディック・ミネの歌う主題歌「夜霧のブルース」(作詞:島田磐也、作曲:大久保徳二郎)のほか、「長崎エレジー」(歌:ディック・ミネ、藤原千多歌、作詞:島田磐也、作曲:大久保徳二郎)、「雨のオランダ坂」(歌:渡辺はま子、作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而)、「夜更けの街」(歌:伊藤久男、作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而)の4曲が使われており、今見ると随分贅沢なラインナップで、これらの曲はいずれも大ヒットした。ディック・ミネは劇中、水島道太郎の弟分・ポイントの譲として顔出しもして、冒頭では「夜霧のブルース」を歌う。

映画の冒頭は昭和10(1935)年の上海のナイトクラブ。西脇順三(水島道太郎)は親分・蘇州の鉄(佐伯秀男)の命令で敵対するギャングのボス(上田吉二郎)を襲い、逃げるところを刑事(二本柳寛)と撃ち合いにあって怪我をする。瀕死の重傷を負った西脇はとある教会の前で倒れ込む。数年後、西脇を助けた牧師(汐見洋)の下で、西脇は更生し、長崎の育児院「希望の家」で教師として働いていた。そこへ蘇州の鉄の使いでポイントの譲(ディック・ミネ)がやってきて、親分が呼んでいると告げる。鉄は西脇に組に復帰するように脅迫する。鉄が育児院に西脇のやくざな過去を書いた投書をしたため、支援者たちが西脇をクビにしろと迫る。育児院を飛び出した西脇は元のやくざに。だが自暴自棄の西脇に、鉄の女房・お浜(木暮実千代)が好意を寄せ、それに嫉妬した鉄に西脇は撃たれる。彼を治療した医者(斎藤達雄)は、鉄たちが上海に売り飛ばしそうとする娘の父だった。西脇は改心して売り飛ばされる娘たちを救った。駆け付けた警官隊に鉄は射殺され、お浜は流れ弾に当たって死ぬ。傷を負った西脇は育児院の前で息絶える。おりしもその夜は復活祭だった。

レコード『夜霧のブルース』ディック・ミネ
流布しているキネマ旬報の資料が、あらすじ、配役とも少し間違いがあるので正しておいた。言ってしまうとかなりダルな映画である。元の戯曲「長崎」の面影は姿形もない(ちなみに戯曲は長崎弁だが、映画は標準語)。また冒頭の場面は上海とはよく分からないし、全体にどこか無国籍調で冒頭に「昭和10年」のテロップが出るのに、それから何年にわたる話なのかよく分からないが、戦争・敗戦・原爆の気配が微塵もない。あえて長所といえば、水島道太郎の渋い魅力、戦中の黄金コンビであった月丘夢路が特出し、その妹・月丘千秋の本作がデビュー作になったことだろうか。いやいや、最大の収穫はやはりディック・ミネが要所で歌う「夜霧のブルース」だろう。名曲だね、やはり。

というわけで結果的にまだ物資不足だった頃だから、主題歌および挿入歌のヒットもあって、この『地獄の顔』はそこそこヒットしたらしい。大曾根辰夫は、同じく水島道太郎主演で長崎を舞台とした、(似非)暗黒街映画の『長崎物語』(1947年)、『地獄の血闘』(1951年)と3部作を形成する作品を作ることになる。