コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 俳優ブローカーと呼ばれた男【その四】   Text by 木全公彦
撮影を前にして
安達英三郎のクランクイン前の言葉。
〈この作品で扱った二・二六事件は日本陸軍はじまって以来の大事件である。/しかし映画はこの未曾有の事件である、昭和一大秘史の全貌を刻明に描くというより、むしろこの大事件を引起したかれら青年将校たちの人間的弱さ、もろさといったものにより焦点をあわせたい。/怒涛の如くわきたち、猛火の如くもえたったかれらの激しい行動を通して、彼等がいかに考え、悩み、苦しみ、そしていかに弱く、もろかったかを描きたい。事件を描くのではなくして人間を、逆に人間を描くことによって事件の全貌を浮き彫りにしたい。/「忠臣蔵」の討入も、桜田門外の事変も、二・二六事件も雪であった。/いずれも偶然に降りあわせた雪であり、わざわざ雪の日を選んで事を起した訳ではない。/しかし雪は偶然であったとしても、そのいずれもが「やむにやまれぬ大和魂」といったものを背景にしている点は偶然ではない。雪までが偶然でないように思わしめるところに、その日本的な背景が効果的に生きていたのだ。/いわばそのいずれもが、終局的には大和魂の悲劇であり、「これなくてなんのおのれが桜かな」の日本でもあった。/美しく降りつもった雪を再び悲劇の血で染めることのない日本の未来のために、この一篇を捧げたい〉(「日本の未来のために捧げたい」、「映画ファン」1954年1月号所収)

続いて佐分利信の言葉。
〈これからも恐らく二度は起らないであろうし、又起らないことを私達心から望む突然の武力革命、二・二六事件と呼ぶこの恐怖の四日間を映画にするに当たり、私は次のような考え方で居ます。/私自身の感情は当時の皇道派青年将校達の考え方は是認して居ります。しかし映画は製作者の主観を強く打ち出すことが一つの演出手法であると同時に、一面その大衆性を考慮し、あくまで客観的に事件を説明し、観る人たちに答を出して戴くことも重要なことだと思います。立野さんの原作は史実の記録と言うよりも、むしろ原作者自身の見た「叛乱」であるようです。/映画ではその劇的構成は出来るだけ忠実に、精神的には青年将校達の行動を批判することなく個人々々の持っていた個性、思想を事件と共に忠実に描いてゆきます。/ただあんなにしっかりした青年将校達が、その行動に於てはどうしてあのような恐るべき事態をひき起したのか、問題はこのあたりにあると思います。/あの青年将校達は政治情勢の改革は、当時の腐敗した政治家達を永遠に地上より抹殺するより他にないと考えた。人間の生命に対する単純さ、純粋な気持がその単純さに依って拍車がかけられ軍刀を振って人を殺すという結果になってしまっているのです。/(略)また原作と多少異なるのは、映画では随所、ナラタージュ形式をとりました。獄舎にある青年将校達の人間像を描き、その想い出の中から事件の中心へ物語を運んで行きます。昔の武士は従容と、死に臨んで少しの乱れもなかったといわれていますが、彼等青年将校達は死刑の判決を受けてからは、やはり一個の人間の姿に還ってしまった。そこに在るのは苦悩、悲哀、絶望、そして絶えざる生への希い、これも現わして見たいと思っています。/この事件は日本陸軍はじまっていらいの大事件であり、クーデターとしては実に無計画に、そして完全に失敗に帰したのでありますが結果的には、彼等青年将校が希望したとは正反対の社会情勢が急速に強まり、彼等が身をもって防止しようとした戦争(日支事変、大東亜戦争)へと突入してしまったのです。当時国民はその真相を一片も知らされることなく、ただ叛乱軍の汚名を着せられた二十名の青年将校の銃殺刑と、直接行動には関係がなかったが、皇道派青年将校の大量投獄が発表されたのみで真相は闇に葬り去られたのです。此の間の政界の闇取引き、背後にある派閥抗争などは、あくまで当時の真実を描き、今日の社会情勢批判への指針ともなれば幸と思います。〉(「『叛乱』の演出について」、前掲「映画ファン」所収)