コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 俳優ブローカーと呼ばれた男【その弐】   Text by 木全公彦
松竹の声明
三國連太郎、津島恵子、鶴田浩二、岸恵子ら若手の有望スターの相次ぐ離反・独立に、松竹常務大船撮影所所長の高村潔は「引き抜きには断固挑戦」と次の声明文を発表した。
〈最近映画界の一部に於て、スター引抜きの不祥事が演ぜられるつつある。こうしたことは今迄もその都度再三警告を発して来た如く、日本映画の発展向上を阻害し、その秩序を乱す不道徳極まる行為以外の何ものでもない。又引抜きの甘言に踊るスターありとせば、それは業界に対する社会一般の信用を失墜することともなり、全映画界にとっての恥辱であると謂わざるを得ない。/松竹としては、真に日本映画の向上を目指す意欲に燃え紳士的態度をもって協力を要望し来たる向きに対しては進んでこれに力をかし、共に映画製作の正道を行くに決してやぶさかではないが、逆に唯目前きの利得を追求するの余り、松竹のスターを引抜くことにより、その浅薄な野望を達成せんとするの易きに就き、日本映画の方向を撹乱するような愚挙に敢て出んとするものに対しては断固戦を挑み、その非行をさとるまではこれを徹底的に攻撃するものであることを此処に重ねて断言する。同時に斯くの如き事態に対して、其の真相を確かむることなく単に一部の言動にひきずられて揶揄的な報道をなすことを以って自ら足れりとしているジャーナリズムの軽率さを徹底的に糺弾してやまない。(略)スターの養成は深い愛情と秀れた指導が円満なバランスのもとに不断に注がれてこそ、初めて可能なのであって若し其処に不明朗な利欲的要素乃至取引きが存在する限り決して達成されるものでないことは、過去のスター引抜きに関する事例がこれを立派に証明している。/松竹は戦前にも増して増加したこうした卑劣な行為が、映画界に横行する限り常に断固たる信念のもとに闘い、あくまでこれを排撃して行くことを声明する〉(「映画年鑑1953年版」から転載)。

松竹ではこの声明文を発表すると同時に、相次ぐ引き抜きが新人や若手を中心に狙い撃ちされたことから、演技研究生や社員待遇の新人俳優を契約者に転属させ、未契約のすきに乗じる引き抜き防止策を講じ、映画出演の多い松竹歌劇団にも同様の契約を結んだ。また東宝でも本数契約による専属契約者を改め、契約期間中は他社出演を一切禁ずるという強硬な通達を出した。

鶴田浩二に続いて岸恵子まで育ててもらった松竹を離反・独立したことを受け、「最近の若いスターは恩知らずのアプレゲールだ」とバッシングした一部のマスコミは、松竹をはじめとする映画会社の強硬な声明に対して、映画界の旧弊なしきたりに疑問を呈し、独立したスターたちに同情を寄せる論調もみられるようになった。

岸恵子は、松竹の高村潔の声明文が出された直後、次のようにコメントした。
〈『弥太郎笠』問題についての進退はプロデューサーの星野さんにおまかせしてあります。今回の京都行にしても、一部に伝えられるように松竹に全然無断で来たものではありません。私は出発する時に大船のYさんには電話でお断りして来ましたし、星野さんが、松竹とは円満に解決するから心配しないで京都に行くようにとも言われましたので安心していた訳です。そして星野さんからの電話で、もう解決したからということなので衣裳合わせもすまし、東京では失踪だと騒がれ、岸の行為は軽薄だとののしられていると聞き、呆然となってしまったのです。この悲運が何処から出ているのかは別として、私の行動は私なりに通すべき筋は通して来たつもりです。『ひめゆりの塔』出演の希望が無残に踏みにじられ、今また『弥太郎笠』のお雪も演らしていただけないということは将来の事の考える以前に、現在の女優としての私の生命を奪うようなものではないでしょうか。『ひめゆりの塔』出演を拒否されてからでも私に次回作については何の話もありませんし、今までだって私はほとんどだれかの代役ばかりでした。もうそうした私の柄にあった私の役があっても良いのではないでしょうか。と思うのは私の我儘なのでしょうか?…この時に私が以前から尊敬していたマキノ先生から『弥太郎笠』の話があり、この役を最初から私を目標に書かれたものだと聞かされればだれでも心が動くと思います。これは女優として当然ではないでしょうか?…それともそれさえ間違っていると皆さんは仰るのでしょうか? その上プロデューサーの星野さんは松竹の方ですし、あの方におまかせすることは決して松竹に弓を引くことにならないと考えたからです…。/でもこんなになってしまったいまでは、私も今後の身の振り方について十分に考えはっきりした態度をとらなければならないことは覚悟しております〉(「スポーツニッポン」1952年9月22日付)