コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 森田富士郎が語る三隅研次   Text by 木全公彦
牧浦地志/大魔神
――話が脱線したんで、三隅さんに話を戻します。三隅さんは中抜きで撮影されるんですか。

森田そのへんは合理的だからやりますよ。やらないのは師匠の衣笠さん。あれには本当にまいりました。そのたびにライティングをやらなあかん。時間がかかってしかたがない。でも衣笠さんのホンは大体1行ワンカット、移動ショットはほとんどなしだから、スケジュールを見ただけで1日の撮影ぶんが分かるんだね。でも中抜きせず、順撮りだから合理的じゃない。

――三隅さんは省略がうまいですね。編集で次の場面にさっと切り替わる。

森田全部見せるんじゃなくて、いいところでパッと次の場面に移る。そのへんがうまいね。観客に想像力に委ねるところもある。川端康成さんの小説みたいなところがあるでしょう。川端さんの小説は結末が曖昧でしょ、そこが魅力なんだけども。三隅さんは刀が画面に入るタイミングとかもうるさかった。『冥府魔道』のとき、若山(富三郎)さんは居合いがうまいんだけど、「若山さん、刀振り上げたあと、一拍おいてから打ち込んでえな」とか、立ち回りでも間合いは大切にしていました。映画におけるリズムっていうのはよう心得ていますよ。

――三隅さんと組むことが多かった牧浦さんについてはいかがですか。

森田あの人はすごい人。別に理屈っぽいということはないんだけど、大変勉強家でね。いろいろな野心的な試みをやったし、三隅さんの座頭市の1作目のタイトルバックでソラリゼーションをやったのも牧浦さんでしょう。宮川さんがキャメラをやった吉村(公三郎)さんの『夜の河』(56)も色彩が評判になったけど、色彩計測は牧浦さんがやったんですよ。あれは牧浦さんがいなければできなかった映画。牧浦さんの師匠は宮川さんだけど、実力でいったら宮川さんと並ぶものがあったと思いますよ。三隅さんの『釈迦』(61)も牧浦さんがキャメラをやれば、あんな安っぽい画にならなかった。今井ひろしさんじゃ、神殿が崩れるところを何の計算もなく昼間撮っていて、どう見てもカポック(発砲スチロール)で作ったハリボテが倒れているようにしか見えないものね(笑)。

――森田さんは『大魔神』を3本やっていますから、特撮には点がからい(笑)。

森田大映には東宝と違って特撮の部署がないから、『大魔神』の1本目は私が本篇も特撮部分も撮影しました。それは私ひとりで両方やらせてくれと最初から会社にかけあって約束していましたからやったんですが、そうしないと本篇と特撮部分のトーンが一致しない。それでひとりでやったんだけど、もう大変で寝る暇もなかった。それで大魔神の動きは2.5倍のハイスピードでしょ。フィルム感度を上げなならん。もうセットは灼熱地獄ですよ。しんどいんで2作目からは田中省三さんという人に本篇は手伝ってもろうた。

――大魔神の特撮はブルーバックですね。

森田いや全部がブルーバックじゃない。ブルーバックはお金がかかるからカット数が決められているんです。1カット当時のお金で50万ぐらいですから、今のお金だと500万以上ですかね。

――2作目の『大魔神怒る』は三隅さんが監督ですが、特撮場面でも三隅さんは立ち会うんですか。

森田いや立ち会わない。お任せ。あれはその前に三隅さんとやった『酔いどれ博士』からそんなに時間が経ってないんじゃなかったかな。でも三隅さんは惜しいことしたね。まだ若かったのに。『オイデップスの刃』のことは知ってますか。

――はい。三隅さんのが流れたあと、角川映画が村川透監督でやろうとして、それも流れて成島東一郎が監督した。原作を大好きだったので期待したんですが、残念な出来でした。

森田三隅さんのは映像京都でやろうとしてたんだけどもね。うまくいかなかった。ATGの葛井欣士郎さんも残念がっていた。