コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 森田富士郎が語る三隅研次   Text by 木全公彦
阿吽の呼吸
――三隅さんは撮影前に画コンテを描いてスタッフに見せるんですか。

増村保造
森田そんなことはしない。ただ自分の意図することが伝わりにくいというときは、黒板にさっと絵を描いたりしてた。そのほうが早いでしょ。それが上手でね。私の知っている範囲でそういう絵がうまかったのは三隅さんと増村(保造)さん。

――増村さんは絵がうまいんですか。

森田スタッフに説明するときに黒板にさっさっと描くときの話ですよ。でも絵の描ける人は頭の中でイメージができているから、画作りに対するこだわりというのはある。

――三隅さんはキャメラを覗かれるんですか。

『花太郎呪文』ポスター
森田ううん、どっちかというとほとんどおまかせ。今みたいにビジコンなんてありませんから。「森ちゃん、ちょっと引こうか」と言われると、どのぐらいに引くのかはキャメラマンの仕事でね、監督は役者の芝居をじっと見てる。そうすりゃ、こっちもこのぐらい引けばいいのかおのずから分かるわけよ。森(一生)さんなんか一切覗きませんよ。監督とキャメラマンとの関係は信頼関係でできているし、阿吽の呼吸みたいなものがあるわけです。三隅さんには「ここんところは取り囲んだ敵方の剣の刃先だけ画面の隅に出していきまひょか」とか「ここは心理的な効果を狙って不安定な構図にしまひょか」とか言いますけど、森さんはまったくのお任せです。で、あとからラッシュを見て「こうやったか」と思ってニヤニヤしたりしてね。そういうもんです。で、私の時代はシネマスコープの時代ですね。役者の顔をアップしたら、両サイド画面が空いてしまう。その空間をどう埋めるかはやっていると分かってくるんです。そりゃ最初は手さぐりでした。レンズだって昔は種類がない。私の助手時代の作品で『花太郎呪文』(58年、安田公義監督)という雷ちゃん(市川雷蔵)の映画があった。雷ちゃんのシネマスコープ第1作じゃなかったかな。キャメラは相坂操一さん。相坂さんは助手にキャメラを任せて、自分は最終的にミッチェルをスライドするだけ。いつも二日酔いでね。変わった人だったな。ま、それでシネマスコープっていっても、当時は50ミリのレンズがひとつだけ。寄って引いてだけです。NACの第1号のレンズ。アップにすると顔が歪んじゃう。だからそんなにアップにできない。でもシネマスコープで画面は大きいからそれでも十分なんですね。