コラム『日本映画の玉(ギョク)』 中岡源権が語る三隅研次   Text by 木全公彦
“小溝口”対宮川一夫
――小道具にもうるさかったらしいですね。“小溝口”というあだながあったらしいですけど。

中岡 小物や衣裳はうるさかったですね。溝口さんは時代考証がうるさくて、すぐに本物もってこいという人だったでしょ。本人はそれほど詳しいわけじゃないですよ。スタッフに最高のものを揃えろと言うだけで。三隅の場合はそういうんじゃないんです。たとえば着物の袖口からその下に身につけているものが見えるでしょ。そういうのん、もう二、三枚見えていたほうがええんとちゃうかとか、袖口の糸のほつれ具合をもうちょっとやってやとか、そういうことですね。小道具でもいろいろ助監督にうるさく言って、違うものを用意させたりしていましたけど、溝口さんみたいに本物じゃなくてはいかんということはなかった。

――キャメラマンでは牧浦地志さんと組まれることが多かったですね。

中岡 牧浦さんもおとなしくて、無口な人だった。だからおとなしい者同士でよう息が合ったんじゃないですか。でも宮川(一夫)さんと一緒にやるときは、三隅はおとなしいから何も言えへんかった。

――ああ、『鬼の棲む館』ですね。

中岡 そう。あれ、宮川さんが監督しとるみたいなもんや。だから本人もあの作品は全然気にいっておらんかった。やりにくかったんとちゃいますか。宮川さんにはあまり注文出せませんからね。まあ、ほかの監督でも巨匠じゃなければ、宮川さんとやればなかなか思うように宮川さんには言えないですわ。

――役者ではどうですか? 勝さんと雷蔵さんとでは、どちらとやりやすかったんでしょうかね。

中岡 どっちも同じぐらいやったじゃないですか。でも芝居をつける上では雷蔵さんのほうがやりやすかったんじゃないかと思います。「それはちゃうわ」と追い詰めていくと、雷蔵さんは割合監督の意図を汲み取った中で芝居をしようとするけど、勝さんの場合は本人の思いつきでバーッとやるから、カットの流れがつながらんときもあるんです。雷蔵さんが自分の芝居に納得できなくて「もうひとつ押してみたいんですわ」と言うと、三隅は「押したらええがな」となって、どんどん芝居がよくなっていく傾向がある。勝さんの場合は、「もう一回はかなわん。二度と同じことはでけん」となっちゃう。瞬発力や運動神経は間違いなく勝さんのほうがいいやけど。

――プライベートではどうですか? 天知茂さんとは仲がよかったみたいですが。

中岡 そのへんはよう知らんですわ。

――天知茂さんとか万里昌代さんとか、新東宝を辞められた方はみんな三隅さんの映画でいい仕事をなさってます。

中岡 まあ、細かいこと言わんでもちゃんとやってくれると思ったんでしょう。ある程度任せておいても意図を汲んでやってくれる。これが新人を使うとなると、大変ですよ。デビューしたばかりの藤村志保を使ったときなんか「アカンやないか。その顔、どないかならんか、変わらんか」とむちゃくちゃ言いますからね。意地の悪い言い方でずいぶん虐めていましたよ。藤村志保はよう泣いていました。それだけ絞る。

――撮影中に芝居やセリフを変えたりされるんですか?

中岡 します。この役者、なんぼ絞ってもできへんというときは、その役者に合うようにどんどん変えていくこともあったと思います。

――シーンそのものを削ったりとかは?

中岡 それはほとんどないですね。芝居のやり方を変えるだけで、シーンそのものを削ってしまうことはない。それをよくやるのは森さんですわ。森さんはせっかちやから、「何、役者が遅れる? そんなら止めや」ってシーンもセリフもどんどん削る。森さんは早く終わって飲みたいんです。たとえば森組の隣のステージで三隅組がやっているでしょ。こっちが森組で、隣が三隅組。一緒の時間に始まっても、全然スピードが違うんです。森さんが最初のスタートをかけるときに三隅組ではまだ準備をしている。終わる時間も断然森組のほうが早い。だから僕も三隅とは全然テンポが合わんのです。

――コンテは書くのですか?

中岡 自分用に台本に線を引くだけですわ。他のスタッフにはあんまり見せんかった。