コラム『日本映画の玉(ギョク)』 中岡源権が語る三隅研次   Text by 木全公彦
三隅研次監督
「新藤兼人が語る三隅研次」に続き、今回は大映京都を代表する名照明技師、中岡源権さん(2009年死去)に三隅研次監督についてお聞きしたときの記録を掲載する。中岡さんが三隅研次監督と組まれたのは、『女系家族』(1963年)、『とむらい師たち』(1968年)、『鬼の棲む館』(1969年)、『尻啖え孫市』(1969年)、『座頭市 あばれ火祭り』(1970年)など、あまり多くはないが、三隅組のスタッフの多くがすでに鬼籍に入られたので、2005年に文化庁・映画賞を「映画功労表彰部門」(映画照明)で受賞され、授賞式に上京された折に、空いた時間に三隅監督について伺った。

三隅研次の演出法
中岡 僕はね、三隅研次とはあんまり仲がよくなかった。ウマが合わないというか、しつこいんだ、三隅は。大映は順番制で組を回すから、僕も三隅と一緒にやってますけど、あんまり多くはない。どっちかというと、僕は森一生さんが多い。だいたい三隅ちゅう男は、酒は飲まんし、無口だし、はっきりモノも言わん。そのくせ注文が多くって、ぐちゅぐちゅうるさくてかなわんかった。僕も気が長いほうがじゃないから、すぐにカーッとなって。まあ、三隅組のスタッフが死んでしまったからね、参考ということで聞いてください。

――三隅さんといえば、助監督として衣笠さんに就かれることが多かったようですが。

中岡 確かに三隅研次は、衣笠貞之助さんのお弟子さんではあるけれども、全然タイプが違う。役者さんへの演出ひとつ取っても、衣笠さんの場合は、まず役者にやらせてみて、4、5回やらせたあと、自分が女形出身やから、自分で「こうや」と演ってみせて、もう一回やらせて少しずつ修正を加えていくやり方。そうすると役者が衣笠さんのやった芝居に近づいてくるわけやね。それがピタッとはまったところでオーケーとなる。三隅の場合は、そういうのは関係ないわけや。まず役者に演らせてみせて、「おっさん、そうやないねん」とか「目つきが違うがな」とか「それしかでけへんのか」とか言って、役者を追い詰めて、絞って絞っていく。だから二人は子弟関係であっても、全然やり方が違う。三隅は衣笠さんの助監督ではあったけれども、衣笠さんがB班をたてるときは三隅さんに絶対任せることはなかった。衣笠組のB班といえば森一生やね。衣笠さんは森とはほとんど打ち合わせをしない。それなのにちゃんと衣笠さんが撮ったところと森さんが撮ったところは違和感なくつながる。衣笠さんがB班を三隅に任せないのは、自分とは芝居の付け方も演出も全然違うので、つながらないことを知ってはったんじゃないですか。

――編集のリズムも森さんと三隅さんじゃ全然違いますね。森さんは緩いというか、流れに合わせて芝居をだぶらせたりして、自然につなげている。それに対して三隅さんはカット尻が短くて、その中に大胆な省略もあったりして、シャープな感じがします。

中岡 ということはやね、三隅のほうがカットは細かいということですわね。たとえばここに灰皿があって、タバコから煙が出ている。三隅はそれをいくつもカットを割って撮る。ときにはその煙を追ってキャメラをパンして、次のお墓の場面の線香の煙につなげるというようなことはようやりますわな。もうひとつ芝居を作るわけや。森さんは灰皿のタバコから煙が出ているカットがいるのだから、それはそのまま自然に撮ればいいじゃないかという考え方。だから衣笠さんと三隅、森さんと三隅でもまったく演出に対する考え方が違うわけやね。

――リハーサルは多いほうですか?

中岡 あまりやらんほうかな。細かいことは言いますよ。で、そのとおりできないと「そうやないで、それしかでけんか」と来るわけや。粘るとこは粘る。カットが細かいんで残業ばっかりでしたわ。

――撮影で回すフィルムの尺はいかがですか?

中岡 編集が困るほど多くて細かい。

――大映では撮影で回すフィルムの尺は完成尺のどのぐらいだと決まっていたんですか?

中岡 だいたい1日500フィートをOKカットだとすると、三隅は同じOKカットが500フィートでも、カットが細かいからたくさん回さなくてならんから大変なんですわ。衣笠さんはガーと一気に回すから1回に回す尺も全然違う。でも衣笠さんは中抜きしないから、そのたびにキャメラの位置を変えたり、照明を調整したりして、時間がかかるから無駄は多い。

――三隅さんは中抜きされるんですか?

中岡 しますよ。でも粘るしカットが細かいから、結果は残業ばかり。あの当時は一週間二本立てだから、普通は40日から45日というのが平均的な撮影期間だったけど、三隅はたいていその日数をオーバーしていたんとちゃんますか。