コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 「母に捧げるバラード」のこと   Text by 木全公彦
エアドームでの公開
『時の娘』の公開は1980年12月10日。東京タワーの下に設置された銀色のエアドームで公開された『ツィゴイネルワイゼン』に続くシネマ・プラセット第2弾として、吉祥寺PARCOの開店記念に、今度はPARCOの屋上に設置されたエアドームで公開された。併映作品は鈴木清順のテレビ作品『恐怖劇場アンバランス 木乃伊の恋』(1973年)。『木乃伊の恋』は特殊上映を除けば、ちゃんとした形で劇場公開されたのはこれが初めてだったはずだ。「私が『木乃伊の恋』が好きだったから、円谷プロに掛け合って上映させてもらいました。清順さんのファンは喜んだんじゃないのかな。でもやっぱり『ツィゴイネルワイゼン』のせいで『時の娘』がワリを食ったのは申し訳ないと今でも思っています」とは、『時の娘』のDVD発売時の荒戸のコメント。

ちなみにシネマ・プラセットの作品は、わが名古屋では『ツィゴイネルワイゼン』が当時名古屋に本社があった日本ヘラルドの直営劇場ミリオン座(現在と場所が違う)で、『海潮音』(1980年、橋浦方人監督)と併映で公開。その直後にミリオン座では清順の日活時代の特集上映をやったので、連日通った。名古屋出身の内藤誠の『時の娘』は未公開。続く清順の『陽炎座』(1981年)で、名古屋では初めて科学館横の白川公園に特設されたエアドームで上映された。続映は名古屋駅地下にあった毎日地下劇場で、併映は新藤兼人の『北斎漫画』(1981年)だった。この二本立てを「エロもそれらしく撮れば芸術に思えちゃう」という名言で評したのは、当時の私のGF。さすが鋭い。ちなみに白川公園での興行といえば、名古屋では、アングラ劇団のテント芝居も――赤テント(状況劇場)、黒テント(演劇センター68/70、68/71黒色テント)、曲馬館(または風の旅団)など――この白川公園の特設テントで上演されたので、それらの芝居もよく見に行った。未成年なのに終演後の振る舞い酒をご相伴になったという告白は、懺悔の値打ちもない北原ミレイ的なもう時効の話か。以降の状況はよく知らないが、たぶん名古屋でエアドーム上映されたのは、このときだけだったように思う。興行的に惨敗し、シネマ・プラセット倒産の引き金を引いた、長嶺高文の『ヘリウッド』(1982年)は名古屋未公開。荒戸が再び移動式映画館で捲土重来を果たした、清順の『夢二』(1991年)や阪本順治の『どついたるねん』(1989年)はどうだったのか。はたまた上野に一角座なる小屋をおっ建てて公開した大森立嗣の『ゲルマニウムの夜』(2005年)はどうなのか。

『ツィゴイネルワイゼン』に話を戻せば、清順が桜の映像にこだわったため、東京でのエアドームで初お披露目上映中にも追加撮影が行われ、上映数日後で原田芳雄入れ込みの桜の場面が上映数日後に差し替えられた、という噂があったが、荒戸に確認したところ事実と判明した。最初の公開バージョンは現在存在しない。当然、地方公開も改定版、すなわち現在流布している決定版だった。

なお、映像作家・田旗浩一さん(月本夏海)がシネマ・プラセットで当時上映に携わったとのことで、その舞台裏についてブログに書かれているので、興味ある方はお読みいただきたい。

http://sayonarako.exblog.jp/948191

【取材データ】
内藤誠 2007年12月10日 渋谷
荒戸源次郎 2007年12月17日 渋谷