コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 座頭市・その魅力【その2】   Text by 木全公彦
不滅の輝き
勝新太郎は子母沢寛が住む鴰沼の自宅を訪問したとき、請われるまま即興で居合抜きを披露して、子母沢を驚嘆させた。1965、66年の頃のことである。そのとき子母沢と交わした会話を勝はこう記している。

「私は、私が、いや、座頭市が白髪、といっても坊主頭ではそれも余り目立たないであろうが、ともかく七十、八十と齢を重ね、そのさだかでない最期に至るまでをいろいろと想像し、創意を加えて、座頭市を演じて行きたいとお話した時、(子母沢)先生は、あの温顔を綻ばして、何度も頷いて下さったように記憶している。/私は、これまでそうであったように、これからも、その時、盲目の市ならどうするか、どう生きるかを問いつづけ、私なりの答えを出して行きたいと思う」(勝新太郎「はじめに」、「座頭市物語Ⅰ」所収、実業之日本社)。

1997年6月21日、勝新太郎、本名・奥村利夫、下咽頭ガンにより死去。享年65。 だが、その死が意味するところは、「座頭市」の一幕目が下りたというだけにしか過ぎない。勝新太郎と多くの共演者やスタッフが築き上げてきた「座頭市」は、映画という進行形の巨大な伝説の中で今もなおその魅力を失わず生き続けているからである。



※本稿は、2003年、角川大映(現・角川映画)より発売された『座頭市全集』DVD-BOX(廃版)の特典ブックレットに掲載したものを再構成したものです。