コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 三國連太郎『台風』顛末記 【その4】   Text by 木全公彦
切り刻まれた『台風』の行方
映画芸術協会が買い取り、『腐肉の群れ』と改題された『台風』はどうなったか。残念ながらその記録はほとんどない。撮影中にはあれだけ『台風』を取り上げたスポーツ新聞も“エロダクション”が『台風』を買い取ったことを伝えたのを最後にぷっつりと記事を載せなくなった。現在のところ封切りの広告や番組表も発見できていない。それどころかピンク映画史を著した書籍や記事でさえ『台風』や『腐肉の群れ』のことについて触れてあるものは皆無なのだ。その中で次の一文は知りうる限りにおいて唯一の記事である。

〈また、ここに妙な作品がOPチェーンにのった。三國連太郎の監督デビュー作『台風』は、製作費4,000万円で“日本プロ”が完成させたが、邦画五社系にことわられ、ついに陽の目を見ずに終わってしまった。もともと、日本プロのスポンサーが日本通運だったので、スポンサーのみが損する結果となったが、これを再編集して、ラブ・シーンを撮り足し題名も『腐肉の群れ』とつけ、OPチェーンで封切った。余りにもお粗末な始末記だった。〉(後藤和敏「栄枯盛衰 ピンク映画八年史」~「シナリオ」1970年12月号)

したがって、その『腐肉の群れ』にどの程度『台風』が切り刻まれて流用されたのかまったく分からない。スキャンダルになった三木弘子の自慰シーンは流用されたのか。ほか山本学ら、有名俳優が多数出演しているが、その場面は使われているのか。肖像権はどうなっているのか。クレジットに“三國連太郎”や“山本学”や“志村妙子”の名前はあるのか、等々。疑問に答えるすべはない。

日本映画データベースには『腐肉の群れ』という三國連太郎監督作品が1965年6月に封切られたと記載するが、調べてみたがその証拠は見つけることができなかった。似たような題名でこの年の9月に国映系で封切られたピンク映画に『腐肉の喘ぎ』がある。青年芸術映画協会製作、脚本=白井明、監督=新藤孝衛、出演=新高恵子、野上正義、金沢重勝、佐伯秀男(!)となっている。この年、創刊されたピンク映画の情報誌「成人映画」にも『腐肉の喘ぎ』の記事はあるが、『腐肉の群れ』はない。この2本の映画が同じもので、題名が混同された場合も考えうるので『腐肉の喘ぎ』の解説を読んでみたが、どうもピンとこない。だが、『台風』が“エロダクション”に売り渡され、切り刻まれ、そのことを逆手にとってプロダクション側が大きく宣伝するわけでもなく、ひっそりとピンク映画として封切られたことだけは状況証拠から見ておそらく確かなのだろう。