コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 三國連太郎『台風』顛末記 【その4】   Text by 木全公彦
新たな企画
日本プロでは『台風』に代わる作品をベテラン脚本家・長谷川公之に依頼し、『重い札束』という題名のアクション映画を製作することに決定する。

〈日本プロ(沢野裕司社長)は9日、さきに公開中止と決めた第1作『台風』の代作として、日通との提携作『重い札束』(脚本長谷川公之)を9月、撮影開始で製作することを正式に決めた。この作品は、新潟大震災(引用者註:1964年6月16日に新潟で発生したM7・5、最大震度5の地震。死者26名)を舞台に、救済用にと多額の現金を運ぶトラックと、それを乗っ取ろうとたくらむ4人組のギャングを描いたアクションで、仏映画『恐怖の報酬』の日本版をねらうもの。主演のトラック運転手には池部良か渥美清、監督が村山新治氏に交渉中で、8月末、台本完成後に正式決定する。9月撮影開始、11月完成の予定だが、まだ公開ルートは未定。

【沢野裕司社長の話】 前回の失敗にこりてこんどは脚本にみっちり時間と手間をかけることにした。脚本家のほかに作家、自動車、心理学の専門家に助言を頼み、内容も、たとえばガソリンの中に角砂糖を入れると自然にエンストするといったような専門知識をふんだんに入れて面白いものにしたい。わたしとしては日通との契約も残っているので、どんなことがあっても良心的な作品を完成させる。〉(「日刊スポーツ」1965年7月10日付)

『台風』が本来目指したプロットに娯楽色を加味したアクション映画という感じの作品である。だがこの企画は実現しなかった。日本プロは結局スポンサーの日通との契約を履行しないまま倒産・解散してしまう。