コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 三國連太郎『台風』顛末記 【その2】   Text by 木全公彦
撮影稿を検討する
善八が山本学、八重が岩本多代、繁子が志村妙子(新聞発表の“たえ子”から漢字表記に変更)だということはわかるが、ほかの配役の詳細は不明。あらすじを書いていてわかったのは、当初のものとまるっきり変わったことのほか、物語の中心が台風そのものでなく、村を支配する有力者と村人との対立に移ってしまっていることだ。それにしては善八、八重、繁子の三人が中心になるはずの物語の視点がはっきりせず、脇に追いやられている印象を与える。第一、台風で孤立し、食料も電気も途絶した村の被災者たちが最初に心配すべきは命をつなぐこと――すなわち食料と寝る場所の確保だろうが、道も復旧しないうちから村の山林伐採で二派に分かれて抗争をするだろうか、というツッコミがあちこちに可能で、かなり不備が目立つ脚本ではある。

製作者で監督でもある三國連太郎としては、当初は台風の被害がもたらした極限状態の人間ドラマから、次第に日本の村社会独特の問題に関心が移ってしまって、台風そのものが口実になってしまったようだが、村社会のありかたは三國が主演した『異母兄弟』(57年、家城巳代治監督)や『飼育』(61年、大島渚監督)を思い起こさせる。また、変更された物語の随所に三國本人の実体験が強く反映されているのではないかという要素も見受けられる。たとえば三國が被差別部落の出身であることは自身も近年積極的に語っているが、祖父が棺桶を作る職人で、それを嫌った三國の父が渡り電気職人になったという血脈の経歴は、『台風』の登場人物である八重の父親が棺桶作りをしているという設定にそっくりである。あるいは戦地から引き揚げてきた三國が、山陰地方で知り合った女性と同棲をして、しばらく鳥取で闇商売をしていた頃の体験が生かされている部分も大きいのではないか。三國は俳優になる前に、長野県上田でドブロクを作って密造酒を売っていたこともあった。

『飼育』のDVDに付けるブックレットのために取材したとき、「農村でのいやらしさがよく出ていた」というわたしの感想に対して、三國はあの独特の女性的ともいえる柔らかい声と笑顔で、ていねいに次のように答えた。
〈戦中から戦後にかけての田舎というのは、体験として僕の中にあったんですね。僕のおふくろは(静岡県の)下賀茂郡というところに疎開していましたから、そこに行くと都会から疎開してきた見ず知らずの連中がたくさんいて、その中でのお付き合いというのは特殊なものがあるわけです。おまわりが一日一回は見回りに来たりして急変したんです。僕はその村から出征しました。でも戦後は一変して、物がなくなったりすると、僕みたいな引揚げ者は泥棒扱いでまず嫌疑をかけられる。それで僕は警察に取り調べを受けたことが何回もあります。『飼育』で僕が演じた地主にあたるような村長もいましたよ。だから映画と同じような土壌で暮らしていました。そういうわけだからというわけではないんですが、『飼育』で僕が演じた地主の役は体験的でした。〉(2008年7月24日、DVD『飼育』ブックレット)

このへんの事情は三國連太郎本人のさまざまな著作や本人が取材に応じた雑誌に詳しい。しかしながら、気持ちは分かるが、映画は気持ちや思い入れで作るものではない。何度も改稿したというより、気まぐれな思いつきで変更に変更を重ねたと言ったほうがよいような書き直しによる脚本の不備を抱え込んだまま、とにかく『台風』はクランクインしてしまう。同時に俳優として出演する『狼と豚と人間』と『飢餓海峡』もクランクインが迫っていた……。