コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 鈴木英夫<その14> 『九尾の狐と飛丸』をめぐって[前篇]   Text by 木全公彦
スタッフ&キャスト
監督の八木晋一は、まったく無名の演出家でググっても本作しか監督していない。それもそのはずで、本作だけの架空の名前で、前掲の「日本アニメーション映画史」では、作画監督の杉山卓、美術監督の影山勇、撮影監督の岸本政由による共同ペンネームとされている。しかしそれは正確ではない。詳しくは後述する。

 脚本の吉岡道夫(1933年〜)は、現在は時代小説「ぶらり平蔵」シリーズで知られる作家。学習院大学仏文科を卒業したのち(同級生に篠沢秀夫がいる)、大映東京撮影所脚本研究生になり、『海軍兵学校物語 あゝ江田島』(59、村山三男監督)の初稿脚本(舟橋和郎脚本)をノンクレジットで手伝ったのを手始めに、劇場映画は中島源太郎製作の『団地夫人』(62、枝川弘監督)の脚本を執筆し、主に大映テレビ室が手がけるテレビドラマの脚本を執筆した。その中には加賀まりこのデビュー作となった『東京タワーは知っている』(60、CX)や『夕日と拳銃』(64、TBS)、『ザ・ガードマン』(65、TBS)などがあり、『がんばれ!マリンキッド』(66)および『海底少年マリン』(69、CX)のほか、ピープロが製作した『怪獣王子』(67-68、CX)は、劇場公開もされた。

テレビの仕事では『月光仮面』(58-59、TBS)や『隠密剣士』(62-65、TBS)で知られる宣弘社の船床定男とはとくにウマがあったといい、テレビの仕事を通じて現場で助監督をしていた若松孝二と知り合ったことで、若松の初期ピンク映画の脚本も執筆。『不倫のつぐない』(63)、『悪のもだえ』(63)、『めす犬の賭け』(64)、『赤い犯行』(64)、『鉛の墓標』(64)など、初期の若松孝二作品のほか、多くのペンネームを使い分け(おそらくは「五代斗志夫」「五代道夫」など)、山本晋也や新藤孝衛らが監督したピンク映画にも脚本を提供した。また、速水駿などの多くのペンネームを使い、「週刊少年マガジン」に少年小説を執筆するなど、活動は多岐にわたる。

作画監督(とキャラクター設定)の杉山卓(1937年~)は、東映動画からキャリアをはじめ、『白蛇伝』(58)動画、『少年猿飛佐助』(59)動画、『安寿と厨子王』(61)動画を担当。テレビでは『海底少年マリン (がんばれ!マリンキッド) 』(66、69)キャラクター・動画、虫プロでは『展覧会の絵』(66)共同監督・動画、『W3』(65-66)チーフディレクター、『アニマル1』(68)チーフディレクター、劇場映画『千夜一夜物語』(69)原画、手塚プロで『火の鳥2772愛のコスモゾーン』(80)脚本・監督。アニメ史研究家としても知られ、著書に「東映動画長篇アニメ大全集」(東映動画、1978年)、「テレビアニメ全集」全3巻(1978―1979年、秋元文庫)、「アニメ・ハンドブック」(1981年、秋元文庫)などがある。

美術監督・色彩設計の影山勇(1931年~)は、東京藝大で日本画を専攻したのち、東映動画に入社し、美術課に所属。のちテレビアニメ『一休さん』(75-82、NET)の美術設定などで活躍。その一方、新世紀音楽研究所のメンバーとしてベーシストとして参加。上島春彦氏に教えてもらったのだが、パフォーミング・アートというかハプニング系のジャズマンだったようで、演奏中に後ろの壁紙を破ってヌード女性が出現するみたいな「演奏」を組織していたという。生活は昼間のアニメーションで稼ぎ、夜は趣味のジャズを演奏するという多芸多才の人らしい。

撮影の岸本政由(1928年~)は、立命館大学卒業後、岩波映画製作所に入社し、撮影課に在籍。中島源太郎とともに日本動画の設立に参加し、取締役を務めた。

 音楽の池野成(1931年~2004年)は、伊福部昭門下の音楽家として、映画音楽では主に大映東京で独特の重低音の音楽を作曲した。当然のことながら、プロデューサーの中島源太郎製作の作品、増村保造監督作品なども手がけることが多く、中島製作、増村監督の『黒の試走車』(62)ほか「黒」シリーズ、『雁の寺』(66、川島雄三監督)、『しとやかな獣』(62、川島雄三監督)、『剣』(64、三隅研次監督)、『傷だらけの山河』(64、山本薩夫監督)、『赤い天使』(66、増村保造監督)、『白い巨塔』(66、山本薩夫監督)などがある。意外や東宝に籍のあった鈴木英夫の作品も多く手がけ、『社員無頼』二部作(59)、『非情都市』(60)、『その場所に女ありて』(62)などノワール色の強いサラリーマン&サラリーウーマン映画の音楽に手腕を発揮している。

原画に名のある波多正美(1942年~)は、虫プロの『W3』(65-66)にアニメーターとして参加したのを皮切りに、『悟空の大冒険』(67)脚本・演出、『リボンの騎士』演出(67)、『アニマル1』(68)演出、『あしたのジョー』(70-71)演出などを担当。のちに虫プロのスタッフが創立したマッドハウスに参加する。その後、サンリオで『シリウスの伝説』(81)や『妖精フローレンス』(85)を監督した。近作は『豆富小僧』(12)の絵コンテを担当した。

同じく原画の彦根範夫(1936年~)は現在ひらがな表記のひこねのりおとして活躍する。東京藝大を卒業後、東宝を経て、東映動画に入社。『少年猿飛佐助』(59)作画、『安寿と厨子王』(61)作画、『わんぱく王子の大蛇退治』(63)作画、『どうぶつ宝島』(71)動画、虫プロに移籍して『ジャングル大帝』(65-66)、『リボンの騎士』(67-68)、『どろろ』(69)、『悟空の大冒険』(69)に参加。1966年にはフリー。自身の〈ひこねスタジオ〉を興す。アニメーターとして仕事のほか、キャラクターデザインも数多く手がけ、「カールおじさん」(明治製菓)や「パピプペンギンズ」(サントリー他)など、多くのCMキャラクターを作りだした。

進行に名のある長田千鶴子(1942年~)は、市川崑の懐刀として知られる編集者。当時は高校を卒業したばかりで、長田の母が中島家と親しかったことから、設立されたばかりの日本動画に社長秘書として就職することになった。のちに大映テレビ室に転籍し、編集を担当。岡崎友紀主演の『おくさまは18歳』(70-71、TBS)、『なんたって18歳!』(71-72、TBS)などを手始めに、『股旅』(73)で市川崑と出会い、『追跡』(73、KTV)で市川組に初参加。『吾輩は猫である』(75)で一本立ちする。以後、ほとんどの市川作品の編集を担当する。現在、崑プロ所属。

声優は、玉藻の声を担当した東恵美子ほか、当時青年座に在籍した俳優が多い。

協力にクレジットされているTJCは、長寿テレビアニメ「サザエさん」で知られるエイケンの前身会社で、1963年に設立された日本テレビジョン株式会社の略称。本作では仕上げと彩色を担当した。

以上のように、スタッフ・キャストは中島源太郎の古巣である大映東京撮影所の関係者を中心に、東映動画や虫プロ出身者、岩波映画出身者など、出自も背景もバラバラの混成部隊であることが分かる。その中で思いもかけず、若手であってもその後に名を残す才能が多く結集したことについては、のちに改めて述べる。