コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 『お荷物小荷物』とその時代 後篇   Text by 木全公彦
脱ドラマの流行と衰退
『お荷物小荷物』のヒットによって、お調子ものの各テレビ局は次々と似たような脱ドラマ的手法を使ったドラマの製作を手がける。佐々木守も本家の脱ドラマ大家として、これらのドラマに参加する。冒頭に出演者が番組についての意見を交わす『負けられません!』(71、朝日放送)、ミュージカル仕立てで中山千夏を始めとする出演者が自己紹介をする『焼きたてのホカホカ』(71、日本テレビ)、公開ドラマで物語の展開を視聴者の電話アンケートで決める『女・おとこ』(71、NET)など。だが、そのほとんどは見事に討ち死にする。成功したのは佐々木守が参加し、早坂暁の売り出しに大いに貢献した『天下御免』(71~72、NHK)と、その続篇『天下堂々』(73~74、NHK)ぐらいで、これは大好きな番組で『お荷物小荷物』同様によく見ていた。もっともこれもVTRが現存していないらしい。

ほかに同時期には大佛次郎の未完の史伝をテレビドラマ化した『天皇の世紀』(71、朝日放送)がある。これは激動の幕末を舞台にした、第1話の『黒船渡来』から最終話『天狗党壊滅』まで全13回の歴史ドラマであるが、映画顔負けの予算をかけて作られた重厚な時代劇でありながら、演出者が登場して役を演じる役者に歴史上の人物の行動を再現させる指示をしているのを見せたり、歴史的な場所の現在の姿をレポートさせたり、そんな場面を違和感なく挿入していた。第二話『野火』では吉田松陰に扮する原田芳雄が、吉田松陰と金子重輔が身を隠した温泉地に行って番組を演出した監督(実際の監督である下村堯史ではなく、俳優の中村俊一が演じている)の指示で取材したり、黒船に向かって小船で櫓を漕ぎだすように指示されたりする楽屋裏を見せたりしていた。ちなみにこの回の脚本家は、佐々木守と同じく大島渚一家の石堂淑朗だった。

この『天皇の世紀』は、脚本を石堂淑朗のほか、新藤兼人、武田敦、早坂暁らが執筆し、監督は山本薩夫、三隅研次、蔵原惟繕、今井正、篠田正浩、吉村公三郎、三輪彰、佐藤純彌らといった巨匠・名匠揃いで、音楽が武満徹という信じられないほどの豪華なスタッフで作られた逸品である。視聴率は振るわなかったが、評価は高く、第2シーズンが製作されたが、そちらはドラマではなく、伊丹十三を案内役にした歴史教養番組で、その中で再現ドラマをやったりしていた。こちらの監督も今野勉、蔵原惟繕、黒木和雄と豪華な布陣。さらに『歴史はここに始まる』(74~75、TBS)もそのスタイルを踏襲した歴史教養番組で、こちらも黒木和雄、実相寺昭雄、篠田正浩らが監督していた。これらの作品はいずれも現存。紀伊國屋書店からDVDがリリースされている『天皇の世紀』ドラマ篇を除き、ドキュメンタリーは肖像権の壁があり、商品化が難しいのだという。めんどうくさい時代になったもんである。

そして脱ドラマのブームは急速にしぼんでいき、わずかにその片鱗は『寺内貫太郎一家』(74、TBS)、『ムー族』(78、TBS)などの久世光彦演出作品に見られるのみになるが、そんな中でこのように教養番組がその手法や方法論を積極的に取り入れていったことは特筆すべきことだろう。以後も、『松本清張 事件にせまる』(84、朝日放送・テレビ朝日)、『その時歴史は動いた』(2000~09、NHK)、『歴史ヒストリア』(09~ 、NHK)といった教養番組の再現ドラマの部分に虚実を混淆する脱ドラマの影響の痕跡を見ることができる。

というわけで、中山千夏の新刊が出ました。『蝶々にエノケン 私が出会った巨星たち』(講談社)。舞台や映画で活躍した昭和の名人たちの裏話が満載の好書です。必読!