コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 『お荷物小荷物』とその時代 後篇   Text by 木全公彦
大好評のうちに『お荷物小荷物』の放送が終了したあと、続篇である『お荷物小荷物・カムイ篇』がはじまったのは、前作から10ヶ月後の1971年12月4日のことだった。以後、1972年4月15日の最終回まで全20回放送され、前作同様に実験的な手法で領土問題に斬り込んだ姿勢が話題になる。しかし、『沖縄篇』が最終回のみ現存しているのに、残念ながらこの『カムイ篇』のテープは一話も現存していない。

『お荷物小荷物・カムイ篇』の基本設定
『カムイ篇』が始まるとまもなくテレビっ子たちを悩ませたのは、30分早く放送が始まっていた日本テレビの『2丁目3番地』と、まったく同じ時間帯に放送を開始したフジテレビ『木枯し紋次郎』の存在だった。なにしろ土曜日といえば、昼間は映画館をはしごして、映画を見まくり、夜になるとテレビの前に鎮座して、夜6時半のNHK総合『少年ドラマ』シリーズの第2弾『満員御礼』、7時にはフジにチャンネルを変えて『スペクトルマン』を見て、引き続き7時半からは日本テレビで『さぼてんとマシュマロ』、さらに8時はTBS『8時だヨ! 全員集合!』、そのままTBSで『キーハンター』を見るという黄金パターンができあがっていたところに、『お荷物小荷物』の待望の続篇が登場し、さらに追い打ちをかけるように『2丁目3番地』と『木枯し紋次郎』が始まったのだから、さあ大変! むろんビデオなどない時代の話である。結局、ビデオ撮りで生放送も辞さないという『お荷物小荷物・カムイ篇』を優先したのは、今思えば我ながら賢明な判断だった。

『お荷物小荷物・カムイ篇』の基本設定は、前作の『沖縄篇』と同じく封建的な男だらけの滝沢運輸を舞台に、お手伝いさんがやってきて、男たちに苛め抜かれ、結局全員が彼女にメロメロになり、骨抜きにされてしまうというドラマを踏襲する。前回と同じ俳優が同じ役を演じていた。すなわち、滝沢馬琴の「八犬伝」よろしく、明治生まれのじいさん忠太郎(志村喬)を筆頭に、大正生まれの父親・孝太郎(桑山正一)、その5人の息子たち――仁(河原崎長一郎)、義(浜田光夫)、礼(林隆三)、智(渡辺篤史)、信(佐々木剛)、そして嫁に行った長女・悌子(南風洋子)という顔ぶれ。

前回でまだ米軍の占領下にあった沖縄から亡き姉の復讐のために滝沢家にやってきたお手伝いさんは、今回はアイヌの娘という設定になった。滝沢家のじいさん忠太郎が北海道で熊の親子を仕留め、母熊を食ったあと、子熊を東京の家に連れ帰ってしまったため、母熊を神として崇めるアイヌのコマシャイン一族の田の中菊ことオキクルミ・ピリカが子熊を奪還するために、身分を隠して滝沢家にお手伝いさんとして働きにきたのだ。もちろん演じるのは大学生のオナペットとして絶大なる人気を誇った才女ブス・中山千夏である。

滝沢家の男尊女卑は前回同様で、それを象徴する家訓が新たにできる。すなわち「女中は女にして人間にあらず/女は動物にして人間にあらず/女は男のために生くる動物にして人間にあらず/女の腹は借り物にて子は家のものなり/女は男の邪魔にならぬように生き、死なぬ程度に男に奉仕すべきものなり」というトンデモないものである。そして男どもは横柄な態度で女中である菊をこきつかう一方で、色目を使い、「ナニをする」(浜田光夫扮する義が連発する言葉で、当時流行語となった。ちなみにその後、80年代には「Hする」という言葉が流行して定着するが、言い出したのは明石家さんまだったと思う)ことを企てるが、結局菊にのぼせあがってしまうのだった。

脇の登場人物も前回とほぼ同じで、悌子の恋人で最終的には結婚することになる近松千春(戸浦六宏)は、相変わらず「毛沢東は言っている」と前置きしつつ、「毛沢東語録」を暗誦するマオイストで、父親の孝太郎は隣のお手伝いさん・山田さくら(中原早苗)と懇ろの仲で、向かいの修道院にはシスター神野毬子(鮎川いずみから小松美賀子に交代)にもとに新たにバテレンモモンガこと火野祭子(春川ますみ)がやってきている。そこに大島渚一派から新たに佐藤慶が加わり、アイヌ第15代酋長コシャマインを髭だらけの風貌で怪演する。第11話からはなかなか菊が子熊を奪還できないのに苛立って、コマシャインが新たに滝沢家に山の中梅(川口晶)をお手伝いとして送り込む。

そして毎回、じいさん忠太郎がなにかと理由をつけて「熊肉パーティじゃ!」といって、庭に置かれた檻で飼育されている子熊を食べようとして、菊がそれを阻止するというパターンが繰り返されるのである。ちなみに子熊の名前は「長介」だったが、同じ土曜日の夜に生放送されていた『8時だヨ! 全員集合!』と関係あるかどうかは定かではない。